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2017年05月21日22:44

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展覧会ふたつ

「渡来人いずこより」

古代、日本に朝鮮半島から文化を伝えた「渡来人」たち。
近畿地方やその周辺で出土した、朝鮮半島由来の文物の数々を展示し、
東アジア一帯のダイナミックな文化交流のあとをたどる企画。

渡来人たちがそのまま日本に持ち込んだ、当時は「最新鋭」の馬具や金具、装飾品、土器が並ぶが、同時に、それらをまねてつくられた「国産品」も出土している。
こうして模倣し、改良して文化が洗練されていくのだろう。
百済式、新羅式の土器については、まとまって特定の地域から出土しているので、百済人、新羅人たちの集団がそれぞれ移住して技術を伝えたと考えられている。

遺跡によっては、馬具とともに、馬の遺骸もいっしょに出土しているが、当時の馬って「在来種」だったのだろうか。船で馬も運ばれたのだろうか?

面白かったのはたくさんの「甑(こしき)」が展示されていたこと。
甑、と聞いて、九州人のわたしが思い浮かべるのは鹿児島の「甑島」なのだが、
「甑」とは、穀物などを蒸す調理具。底にいくつもの穴が開けられている。
5世紀の始め頃に竃(かまど)と一緒に、朝鮮半島から近畿地方に伝えられたという。
甑の下に水を張った甕(かめ)、そしてその下の竈で火を起こす。
そうすると甕から上がってきた蒸気で穀物などを蒸すことができる、という仕組みになっている。
なるほど、現代の蒸し器といっしょじゃん、と見入ってしまう。
甑の底が丸みを帯びているもの、平べったくなっているものなどパターンがあり、その特徴で、そのエリアに居住していた、渡来人たちの出身地もわかるのだという。

「中央を介さないような交流など、近代国家の枠組みでは想像できないような、多様な交流の歴史が存在することを伝えながら、両地域の文化への関心を高め、友好を深めることにつなげたいと思います」
という博物館の担当者の言葉にあるように、「国家」にとらわれない往来が、文化の伝播と広がりを持ったことを実感する。
(5月10日、大阪歴史博物館)


「つなぐ かざる みせる ビーズ」

飾り玉、数珠玉、トンボ玉などを総称するビーズ。
それらも含め、「何かと何かをつないだもの」もビーズととらえ、人類が世界各地で作り出した見事な細工の工芸品、装飾品、日用品、衣装などを展示。
友人からこの展覧会の招待券を送っていただき、見に行きました。

石や貝殻などは古代から「ビーズ」の素材としてはあまた使用されていると思うが、意外な素材の「ビーズ」がならぶ。
動物の犬歯や、カナブンの死骸などはよくぞこれだけ集めてきたものだと思う。
犬歯は一本一本抜いたのか・・
カタツムリの殻をつなげた首飾りもあった。
針に糸を通せるのは人類だけ、なのだという。ほかの霊長類でもこれはできないそうだ。
その発明が、人類の文明を飛躍させた。
ビーズも、石や貝殻やガラス玉に穴をあけて糸を通すことによって、呪術的な色彩を帯びたり、身体を飾る華やぎを持たせたりもした。
糸に使われたのは動物の腱。
これは、昨年末、東京の国立科学博物館で見た「ラスコー展」でも、同様の説明があった。

わたしが一番惹かれたのはやっぱりトルコ石の首飾り。
おおぶりなトルコ石のビーズだ。
わたしの誕生石だけに、いちばん好きな宝石である。

そういえば10数年前に「ビーズ細工」が女性の間でちょっとしたブームになったことがあった。
ただし、手先が超ぶきっちょなわたしには、まったくお呼びでない出来事であった。
と、そんなわたしを「人間業じゃない!」と驚嘆させる、こまかーい、玉をつらねたビーズ細工の海外の民族衣装に交じって、昭和40年代に作られた、日本のビーズのバッグも展示されていた。
当時、ビーズのハンドバッグやセカンドバッグが流行していたのだそうで、そういえば1月に逝った亡き母も、ああいうバッグを持っていたよなあ、と思い出が押し寄せてきた。
(5月15日、国立民族博物館)

※画像左は出土した「甑(こしき)」。右は「ビーズ」展のポスター
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