この3月18日はフランク永井の誕生日。1932(S7)年生まれなので、ご存命なら85歳になることになる。
2008(H20)年に亡くなられた。すでに10年近く前になる。だが、フランク永井の人気は決して衰えていない。それだけに、昭和歌謡に残した記憶はおおきく、最近BSで多くなった歌謡番組ではかならず取り上げられている。
この3月には、歌謡ポップスチャンネルで「この人・フランク永井ショー・母あればこそ」が放映され、フランク永井への敬意が表された。この番組は、NHKから1984年10月4日に放送されたもの。フランク永井映像には、当時の事情から上書き使用され残されているのが少ないために、たいへん貴重な1本だ。
今回の放送を録画でみて、その映像の鮮明さに驚きながら、フレッシュに鑑賞させていただいた。
2009年にフランク永井ファンには永久保存版ともいえる「歌伝説フランク永井の世界」が作られて、NHK-BSから放送された。この作品でフランク永井自身が自らの生い立ちを振りかえるというところで、先の映像が効果的に多用されていいる。
デビュー曲「恋人よわれに帰れ」のSP版演奏、デビュー前にラジオでの自慢荒らしで歌ったという「マイ・ベイビーズ・カミング・ホーム」を歌うシーン、好きなオープンカーでは喫煙しながら街を走り吸殻を車外にポイする…などが使われた。
喫煙運転も車外にポイも今はダメ。これはこの番組映像の内容が充実していることや鮮明であることから、NHKから再放送されても当然でありながら、できない理由になっていると思われる。
歌謡専門チャンネルはBS有料チャンネルだが、ここから放送されたのはそうした事情ではないだろうか。筆者は有料チャンネルについては接する機会もなく、当然放映も知る由もなかったのだが、ファン仲間のOさんが知らせてくださった。これはmixiのフランク永井サイトにも告知させていただいた。
そうした経緯で情報をともにしたやはりファン仲間から録画を見せていただいた次第で、お二人には深く感謝。
実は、この映像自身は以前に観ている。それはやはりファン仲間の方が、当時放送の番組をVHSで録画されていたもの。その録画は同様な当時の事情でテープを上書きで利用していたりのさまざまな事情とも思えるのだが、映像の鮮明度は若干落ちるものだった。それが、最新のデジタル技術の向上もあってか、今回の番組では十分に満足させるレベルであったことに、痛く感心。
この番組をご覧になって記憶されている方は「ミヤコ蝶々とのあれネ」という。そのように、この番組では最初から登場。フランク永井との交流を親子のように親しく語っている。
4歳で父を亡くしたフランク永井を、一人で育てたのが母。母は後年喉頭がんを患い声を失う。フランク永井は声を職業にする歌手となったことが、その母の喉の代わりという。そして、1961年「君恋し」でん本レコード大賞を受賞した。母に感謝の報告というエピソード。
番組には松尾和子もゲストで出演した。デビュー前に吉田正やビクターに松尾を紹介したことをずいぶんと遠慮しがちに語り合う。確かに松尾の活躍はご本人の実力であって、紹介自身は無数のきっかけのひとつにすぎない。しかし松尾は機会あるたびにデビューの恩人はフランク永井と語っている。
さらにこの番組でしか見れない映像は、出身地宮城県の地元の子供のころからの友人が登場し、エピソードを語り合い、竹笛の共演をしていることだ。番組の臭い、個性、時代の流れを感じさせるところだった。
当時のテレビでフランク永井を取り上げたまとまったものはNHKに限らずけっこうあったと記憶する。だが、ほんとうに残念なことに残されているのがほとんどないなかで、この番組は唯一かもしれない貴重なものだ。
1977年12月NHK放送「ビッグ・ショー・フランク永井〜酒・女・そして…」は映像がなく、録音は同名LPとして残されているだけだ。どなたか録画されているといいのだが。ここでは「君恋し」の特別版が歌われている(近藤進編曲、小野満とスイング・ビーバース/東京放送管弦楽団演奏)。それをベースにしたと思えるような「君恋し」が「この人…」でもフランク永井当人の歌唱で歌われた(ダン池田とニュー・ブリード演奏)。しっとりしたなかなかいい味をもった編曲になっていた。
これを企画し放送されたことに大きな感謝を払いたい。フランク永井の生誕を記念するいい企画である。
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