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2016年09月11日10:09

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藤田嗣治展 −東と西を結ぶ絵画

ちょうど10年前、レオナール・フジタ生誕120年の大回顧展を広島で見てからというものの、わたしはフジタのとりこになってしまった(当時住んでいた福岡から、新幹線に乗って見に行ったのだ)。

それからフジタの展覧会がおこなわれる、作品が出展される、と聞くと欠かさずその美術展に通うようになった。
そしてまた10年、生誕130年の節目に再び、画業をたどる大きな展覧会が開催。
関西では神戸に巡回してきた。
http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1607/index.html

東京美術学校(いまの東京藝大)時代の作品から、渡仏し、エコール・ド・パリで名声を博した乳白色の裸婦像、帰国後の人物画、南米旅行中のラテンの雰囲気をまとった群像図、後年、物議をかもした戦争画、晩年のフランスでの礼拝堂の宗教画まで、フジタという画家の軌跡と生涯をたどるには十分の、バランスのいいセレクションだったと思う。

フジタ展をここ10年せっせと見に行ったこともあり、以前行った展覧会で見た作品も多数展示されていたのだが、それさえも「あ、また会うことができた」とわたしには思えたのだ。

今回は、パリ時代、まだ乳白色の裸婦像を描き始める前の、セピアを基調とした風景画が複数点出展されていたのが、わたしには一番の収穫だった。
華やぎのある、美しいパリではなく、どこか陰鬱でさびしい風景。
うねるような、流れるようなタッチで道路が描かれているのは、当時親しく交流していた画家のシャイム・スーチンの影響との指摘もあるが、たしかにあの流線型の筆致はスーチンの絵が浮かんでくる。

どういう絵を描いていくのか、フジタの試行錯誤のあとは、キュビズムや親しかったモディリアーニを思わせるタッチの作品から見て取れる。

10年前に続き、今回も数点の「戦争画」が展示された。
「アッツ島玉砕」「ソロモン海域における米兵の末路」「サイパン島同胞臣節を全うす」である。
これらは収蔵している国立近代美術館で展示があるたび足を運んだが、幾度見てもその画力に圧倒される。
近年の研究で、ダ・ヴィンチの戦闘を描いた作品など、西洋絵画における戦闘シーンをモチーフにしていたのではないかと推測されている。

フランス画壇では、墨や面相筆を用いた日本的要素を取り入れ、帰国してからは西洋画のダイナミックさを発揮した作品(それは戦争画にも援用された)も発表し、まさにフジタは東と西の芸術を模索しつつ縦横に筆に乗せた表現者だった。

図録に掲載されていた、府中美術館の学芸員・音ゆみ子氏の論文の一節が、フジタの芸術家としての立ち位置やスタンスを的確に述べていると思う。
「藤田の孤独と苦悩の最も深いところには、まったく異なる二つの文化を結ぶことのむずかしさがあったように思う。けれども、もし晩年の彼がただそれを諦めたのではなく、新しい世界を見つけようとしていたのなら、そこに光が感じられるように思う。そして、その光はこれからの日本の芸術の行く道も照らしてくれるかもしれない」

今回の展覧会では、「音声ガイド」を、「FOUJITA」で藤田嗣治を演じた、オダギリジョーが担当。
惹かれるものはあったんですが、図録を買いたかったので、こちらは断念しました。
(9月7日、兵庫県立美術館)

※昨年、国立近代美術館で見た、フジタの全所蔵品展の感想
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1947457277&owner_id=5348548

※フジタの最高傑作「哈爾哈(ハルハ)河畔之戦闘」を見た感想
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1943000256&owner_id=5348548
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