ようやく舛添騒動が終わった。僕は今回の件は
メディア、都民とも騒ぎ過ぎという気がする。
まるで芸能人の不倫のような扱いではなかったか。
舛添氏のキャラがイジメやすい。東大卒で東大
助教授も務めたエリート。女にもてて結婚は3回、
愛人も複数いたことが分かっている。庶民の羨望の
的だったが、こういうときは逆のベクトルがはたらく。
今回の件は週刊文春の記事がきっかけだが、
よく見てみると大半のネタは秘密でもなんでも
ない。公的文書をチェックすれば分かる話だ。
文春以外のメディアは何をしていたのか?と
いうこと。
全体として金額も大きくなく(だから
「せこい」と言われる)、違法ではないの
だから、本人はたぶんいまだに何故やめなければ
いけなかったのか分かっていないと思う。
理屈では、辞めるような話ではないと、舛添氏は
思っていて、僕も同感だ。理屈ではなく、
公私混同に対する嫌悪感、つまり感情と気分が
「世論」の源である。理屈でなく感情や気分と
いうのは議論の対象とならない。結局、舛添氏は
理屈という自分の土俵では相撲はとれなかった、
ということだと思う。
話はそれるが、感情や気分というのは換言すると
「空気」ということになる。空気が日本社会の
特徴をかたちづくっているわけだが、これは
変な方向にいくときは「恐い」ものだという
ことを言い添えておきたい。
ログインしてコメントを確認・投稿する