mixiユーザー(id:4778237)

2016年04月16日12:05

1115 view

毎日放送テレビ-ちちんぷいぷい〜歌碑ものがたり〜「有楽町で逢いましょう」

 「歌謡曲好きの毎日放送の福島暢啓アナウンサーが全国各地に建てられた歌碑を尋ねるコーナー」ということで、昨年はフランク永井の出身地である、宮城県大崎市松山町にある「おまえに」を紹介した。この番組ではすでに80の碑を訪ね歩いたという。
 人気の番組で、このたび再放送の声に応えて「ベストヒット 東京の歌特集」が組まれた。そこではフランク永井の「有楽町で逢いましょう」も取り上げられたことを知った。ただ残念なことに毎日放送の関西圏での放送になっていて、全国では楽しめない。その矢先、いつもフランク永井についての多くの情報を提供してくださっている方から、ビデオに収録したということで、その映像を見せていただける機会を得た。
 東京の歌ということで選ばれたのは、「ああ上野駅」「神田川」「有楽町で逢いましょう」の歌碑。
 井沢八郎「ああ上野駅」は筆者も山形から集団就職の列車を利用した一人なので、いまでも強烈な印象を持っている。山田太郎の「新聞少年」などとともに、こうした歌に励まされたのは揺るぎない。碑は上野駅に建てられ有志によって丁寧に掃除され見守られている。番組司会の福島さんが、律儀に携帯しているマイ掃除道具で碑をみがく。
 南こうせつとかぐや姫「神田川」も印象深い。筆者も吉祥寺、中野、高田馬場、御茶ノ水とまさに神田川周辺を若い時分には仕事でも遊びでも回遊したので雰囲気はよく知っている。学生運動もすごかった時期で、御茶ノ水、渋谷、新宿では連日話題だった。新宿駅西口の大フォークソング合唱のときにはその場にいた。そのような時世と重なるのが「神田川」。しかも南こうせつの曲と歌が喜多条忠の詞をみごとに表現していた。バイオリンの演奏をかぶせた木田高介の編曲がいい。
 ちゃんと碑ができていて、多くの人の思いを伴い歌い継がれていく。

 さて、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」だが、碑については何度かブログでも紹介している。関西のこの番組はどう扱うのかは観るまで関心を膨らませていた。番組は有楽町マリオン前にひっそりと置かれているその碑を、雨水の「水たまり」の形と表現。フランク永井の恩師吉田正の作曲時のエピソードを的確に紹介。ちなみに、有楽町の複合商店コンプレックスである「イトシア」は、作詞歌佐伯孝夫が描いた「雨もいとしや、歌ってる…」からとったもの。
 筆者の上京時の有楽町は現在のような「綺麗で洗練された」ところではなかった。首都東京の隣、華やかな銀座の隣、実はその一角であるにもかかわらず、どちらかというと闇市、汚いというような表現があっていたようなところだった(まことに失礼な話でごめん)。その象徴のようなところが、ガード下の飲食街だ。現在では当時とは比較にならないほどきれいになっているのだが、それでも紹介された番組の映像では雰囲気が出ていた。
 お店の方、いつも足を運んでいる客が依然と変わらず場を愛し、継承していくことに気を使っているためだ。
 有楽町かいわいではフランク永井も「有楽町で逢いましょう」も知らない人は一人もいない。戦後の流行歌で場所を全国的に有名にしたのだ。全国に知られて関心が寄せられる。それに応えるように比例して目まぐるしく発展をしてきたのだ。
 有楽町という名前がいい。そして佐伯孝夫が抜群の洗練されたおしゃれなイメージを作ってくれた。
 福島アナが周囲を回って、さまざまなエピソードを紹介しながら有楽町を浮き彫りにしていく。有楽町の特徴を実によく表現していたと感じた。
 歌碑ものがたりでは、フランク永井の歌った歌の碑では、今年1月に「大阪ぐらし」を放映している。藤島桓夫の「月の法善寺横丁」がそのままズバリで有名な法善寺横丁にひっそり建つ「大阪ぐらし」碑。織田作之助に従事した石濱恒夫の傑作の詞に大野正雄が曲をつけ、フランク永井が歌った。東北出身のフランク永井がその後関西モノのヒットを連発してくが、みごとに大阪の情景を唄ったものだった。この碑については、次回「大阪の歌」の特集で取り上げてほしいところである。

 熊本では衝撃的な地震が発生している。本日のが本振で一昨日のが余震だったという。深刻な被害が続いている。被災者にはこころからの哀悼の意を表します。

3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2016年04月>
日 月 火 水 木 金 土
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930