春先、感動作ということで話題になっていた映画。
わたしも気にはなっていたが、もう上映が終わったものだとばかり思っていた。
ところが、大学時代の友人から一緒に見に行きませんか? とお誘いのメールをもらい、新宿武蔵野館でまだ上映中なのを知り、友人と仕事の都合を合わせ、金曜日に見に行ってきました。
レイトショーの整理券を先にもらい、上映まで友人と夕食。
めざす新宿3丁目のイタリア料理店はいっぱいで入れず、仕方なく同じビルの5階にあるパスタ店へ。
友人Kさんとは熊本の大学に通っていた頃は、よくいっしょに映画を見に行ってたものだ。
いつもはほとんど一人で映画館に行ってるわたしなので、友人と一緒に見るのは新鮮な感じだ。
1979年のカリフォルニア。
ゲイのルディ(アラン・カミング)は女装してゲイバーで踊る毎日。
でもベット・ミドラーが憧れだ。
ルディの店にやってきたポール(ギャレット・デキラハント)とは、目が合った瞬間から恋に落ちる。
だが、ポールは有能な弁護士で、周囲にはゲイであることを隠し通していた。
ルディのアパートの隣人は薬物中毒の女で、ダウン症の息子・マルコ(アイザック・レイヴァ)がいるが、育児放棄状態。
とうとう母親は麻薬所持で逮捕され、マルコは施設に送られることになってしまう。
教育環境の整っていない施設になじめず、またアパートに戻ってきてしまうマルコ。
ルディは見て見ぬふりなどできない。
なんとかならないかポールの事務所に乗りこむ。
ポールはゲイと知られたくないため、ルディのことを「いとこだ」とウソをつく。
煮え切らないポールの態度にも怒ったルディは言うのだ。
「母親が薬物中毒なのも、障害があるのも、あの子が望んだことじゃない!
どうしてマルコがこれ以上苦しまなければならないのよ!」
母親の服役中の保護、ということでルディとポールはマルコを引き取り、3人で暮らすことに。
マルコを学校に通わせ、きちんと教育も受けさせなおした。
担任の女性教師は、ゲイにも障害児にも偏見がなく、マルコはみるみるいろんなものを吸収していく。
なにより、ルディとポールは深い愛情をマルコに注ぎ、ハロウィンや旅行をいっしょに楽しむ。
血のつながらない家族だけど、彼らは愛で結ばれた、まぎれもないあたたかな家族だった。
マルコを育てることにより、ルディとポールの絆も深まっていく。
だが、世間は担任教師のような人ばかりではなかった。
ゲイを快く思わない、かつてのポールの上司の策略で、「いとことウソをついていた」ということを皮切りに、ルディとポールは、マルコの養育権をとりあげられそうになる。
裁判を起こし、マルコを手元に置こうとするふたり。
マルコにとって、何が一番幸せなのか、ふたりは訴える。
そんなに昔の話でもないのに、当時のアメリカでもゲイに対する偏見がひどいものだったのに驚く。一緒に見た友人も「あんな差別があったなんて・・」と映画館を出てまずつぶやいていた。
「ゲイなんて気持ちわるい。そんなヤツがよその子供を育てるなんてできるわけないだろ」
という偏見と悪意が満ちあふれ、ルディとポールは孤立せざるをえない。
マイノリティーのつらさをいやというほど味わっているからこそ、ルディは障害を持つマルコの寂しさが人の何倍もわかっていたのだろう。
「義を見てせざるは勇なきなり」という言葉を見ながら思い出した。
だが、差別と偏見が先走り、だれも「マルコにとって一番幸せなのは?」ということに思い至らない。人と違うことをするヤツを世の中は罰したがる。「普通」だと思って見ている風景から、別の風景を見たがらない。
現在はゲイやレスビアンに対する人権もずいぶん考慮されるようになっているが、1979年には
映画のようなことが実際に起きていたのだ(実話ベースの物語である)。
マルコを演じたアイザック・レイヴァは、実生活でもダウン症の青年だが、うれしそうに笑う笑顔がとてもいい。逆に、こうやってダウン症の人間が映画で演技でき、作品化できるところに、アメリカの映画界の幅の広さを感じる。
原題は「Any Day Now」。でもこの「チョコレートドーナッツ」という邦題の付け方はなかなか心憎いし、うまいと思った。チョコレートドーナッツはマルコの好物。
この邦題で、かえってあたたかな人間の真心が感じられると思うから。
そして見逃しそうだったところを、誘ってくれた友人に感謝です。
(7月4日、新宿武蔵野館)
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