好きな歌手で俳優でもあった上条恒彦が亡くなりました。心からのご冥福をお祈りいたします。
新聞の訃報欄で知りました。驚きました。だが、老衰とのこと、人生をまっとうされたのだと思います。2年ほど前だったか、杖を持った椅子姿でテレビに出ていたのが見た最後でした。
1960年代の終り頃、上條は新宿と吉祥寺の歌声喫茶「ともしび」でガンガン歌っているのを見ています。声量の大きさと、類をみないバリトンの声、このユニークさは一度聴いて誰も忘れなかったのではないでしょうか。
彼はその後労音の専属になり、プロ歌手としてのデビューを果たします。1971年「誰も知らない私の悩み/上條恒彦ファースト・アルバム」が発売され、早速手に入れました。当時持っていたプレーヤーは、ビクターの最小のちゃちいもので、歌唱の良さは分かりません。友人の買ったばかりのステレオで聴かせてもらい、改めて良さを確認したのを覚えています。
収録曲は下記の通りです。
01 オル・マン・リバー 02 ジェリコの戦い 03 シティ・コールドヘブン
04 誰も知らない私の悩み 05 オー・ハッピー・デー 06 最上川舟唄
07 雨よふれ 08 牧師とどれい 09 勝利を我らに 10 太陽 11 さとうきび畑
どれも歌声喫茶で歌われていた曲で、徹していたのは反戦です。「さとうきび畑」は森山良子が人気をさらう前のもので、上條の歌唱は独特の訴えるものを感じます。時期がベトナム反戦でもあり、こうした歌を歌って仲間意識を高めていましたね。
「最上川舟唄」はご存知のように、現在は山形県の民謡のひとつです。これが、何故に反戦歌の一つに取り上げられているかというと、やや解説が必要です。歌声喫茶では、ロシア民謡もよく歌われていました。ソ連の存在は現在の一般的な見方とはことなり、世界の社会主義第三世界をリードする国家、アメリカを中心とする欧米の戦争勢力に対して、真正面から反抗し戦う平和の勢力として存在し、それを称賛し支援する人は、日本でも多く存在していました。
ロシア民謡が戦後の日本の社会でブームになるほど取り上げられたのは、そのような背景と、ロシア民謡に代表される感情表現が日本人的な感覚と相性が良かったからでもあります。そのロシア民謡のひとつに「ボルガの舟唄」というのがあります。実は「最上川舟唄」はこの「ボルガの舟唄」を見本として新しく民謡化して作られたものなのです。この2つの歌を聴き比べてみれば良くにているのに気が付くはずです。
私の故郷は最上川のほとりです。芭蕉も詠んだ難所。現在は観光で船下りがあり、ここに乗れば船頭さんは歌ってくれます。ロシア民謡の「仕事の歌」と同じで、いくら働いても一向に解放されることのない厳しい労働を歌ったものです。ここから、いつの間にか「最上川舟唄」も同類として歌声喫茶では歌われたものです。
同郷のシャンソン歌手岸恵子は、ズーズー弁で「最上川舟唄」を歌っていますが、実はこれもたまに歌われて、大きな笑いをとったものです。
この後、上條は「出発の歌」「だれかが風の中で」…とヒットを飛ばしていきました。さらにドラマ出演を経てミュージカル舞台に立ちます。彼の野太い歌唱はここで全開します。友人が彼のバックバンドをしたていたせいで、私の結婚式で歌ってもらおうかという話がありました。当時私は私的な場に有名になった人を呼んで、自分も何か偉くなったように見せるのをひどく嫌っていたことから、丁寧にお断りしました。ただ、上條が亡くなった今ふと思えば、それはそれでいい思い出を友人知人に残したのではないかとも思ってしまっています。
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