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2023年12月17日13:06

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「歌コン」参加申込締日が迫る&白井信幸氏フランク永井評1

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   【第12回フランク永井歌コンクール告知】
 2024(R6)年3月16日(土)17日(日) 大崎市松山体育館
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   フランク永井 歌コンクール official サイト
     https://f-nagai.m-machikyo.com/
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 「第12回フランク永井歌コンクール」の参加申込の締め切りが12月28日必着となっています。希望者は遅れずにお申し込みください。
 コロナ禍でここ数年延期が繰り返えされておりましたが、来年3月に気を持ち直して開催されますので、全国のフランク永井ファンの皆さんは、会場に駆けつけられればと願っています。是非とも成功させましょう。

 故白井信幸さんは歌コンの開始以来、井上博雄さんに変わるまで十年以上の長期(2018.10 第10回まで)にわたって、歌コンの審査委員長をされてきました。歌コンの審査の作業の過酷さはご想像のとおりです。各人に歌のアドバイスまでするという作業は察するに余りあります。
 白井さんは歌コンの度に、フランク永井関係のコメントを発表されています。現役時代にフランク永井と直接にかかわっておられただけに、貴重な資料となっています。歌コンパンフに発表された内容も紹介していきたいのですが、今回は別途2016年に発表されておられた「昭和の金字塔〜ビクター名曲の裏話」を復刻掲載してみます。

【以下復刻掲載】
●「有楽町で逢いましょう」(番外編)作詞佐伯孝夫、作曲吉田正

 野球の豊田泰光さんがこの8月14日に亡くなられた。(享年81歳)
 日本シリーズ三連覇の偉業を成し遂げた西鉄ライオンズの遊撃手、’53年新人王’56年には打率3割2分5厘で首位打者となった強打者。1番玉造、2番豊田、3番中西、4番大下、5番関口の打撃陣に、名投手稲尾を擁したライオンズは、巨人がV9を達成する迄は無敵だった。
 この豊田さんがこのコーナーとどんな関係があるのか、といぶかしく思われるだろう。実は吉田先生とは茨城県人の先輩と後輩の間柄で先生がもの判りが良く、出来の良い長男で、豊田さんは気は強いが甘えん坊の末っ子とみれば良いのかも知れない。福岡からの試合の為、上京されたとき暇が出来ると吉田宅へ訪れて居られたようだ。
 先生が亡くなられた夜、離れの一部屋に安置され、喜代子夫人を抱きかかえるようになぐさめていたのが吉永小百合さん、私は言葉もなく次の部屋に居た。そこへ豊田さんが顔を出された。多くの弔問客は先生との関係は知らないし、野球人との付き合いがない為、顔は知っているが声はかけられない。豊田さんも同様である。
 目敏く私を見つけ「白井ちゃん先生のお通夜だ飲もう」といって水割りを持って来られ、それぞれの想い出を語った。水割りのお代わりを作るのが三田明さん。何とも賛沢なひと時だった。
 そして「有楽町で逢いましょうは俺がレッスンを受けていたんだよ」には吃驚。そして口ずさんだ、何と3拍子。「トヨさんそれ3拍子だよ」というと「何拍子かそんなこと俺に判るわけないだろう!」「習った通りに唄ったんだ!」。レッスンの数日後、福岡へ電話がかかって「トヨ!あの曲フランクに唄わせるからいいな」「どうぞどうぞフランクさんはプロ歌手だし、私は一介の野球選手ですから構いません」と返事をしたんだ。
 この話で私にはピンと来るものがあった。作曲家は勿論、画家もそうで、もの作りに熱中すると周囲が見えなくなるようだ。ベートーヴェン然り、貧困を窮めた画家のモジリアニやゴッホもそうだ。先生の場合、曲が出来ると誰かに唄わせそこから微調整される(このことは、一例として平成25年12月号のメロディ・メイトに記載)。「有楽町で逢いましょう」を最初に吹込んだのは、三浦洗一さんだと見て来たようなことを書いた人が居た。これも豊田さん同様、レッスンされたのだろう。
 その結果、3拍子だったものが4拍子の都会的なものになり大ヒット。フランクさんは大スターに。先生は押しも押されぬ大作曲家の地位につかれた。
 ヒット曲には地下を流れる伏流水のようなものが入り交り、目に見えない部分が非常に大きい。「あのヒット曲は俺がアイディアを出したんだ」とか、「知恵を貸したんだ」という類の話が多く、暇な人が数えたら30人近くいたというが、あながち嘘ではないと思えるのは、ヒット曲が出来るのは1+1=2のように単純ではないからだろう。作曲に対する先生の厳しさは図り知れないものがある。
 一例をあげると詩を持って依頼に行く、ワープロで打った原稿は受け取られなかった。筆やペンの墨やインクの濃淡、文字の線、留め、払い、跳ね等で作詩家の気持ちのこめ方、感情を汲みとろうとしておられたのだ。だから佐伯孝夫、吉川静夫、宮川哲夫、藤田まさとの詩では、吉田メロディーであってもメロディーの雰囲気が違うのだ。
 豊田さんがレッスンを受けた3拍子の「有楽町で…」は思いが強かったのか、のちに吉永小百合さんが唄った「泥だらけの純情」にその面影を見い出せる。そして豊田さんに新曲をプレゼントされている「男のいる街」「さいはての旅愁」昭和33年1月発売(V-41762)のA・B面、いずれも佐伯孝夫作詩野球選手や大相撲の関取には唄の上手い人が多い。胸隔が広く肺活量がある為、軽く唄っても一般人よりも声が良く響く。豊田さん、当然のこと乍ら声も良いが仲々の歌唱力、ひょっとしたら歌手としても成功した人かもしれない。
 いまごろ、あちらでは「トヨ!新曲のレッスンをするぞ!」と言われているかも知れない。合掌。

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