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2023年08月19日18:19

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【復刻】目黒フランク永井邸のお庭を紹介する2冊

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【第12回フランク永井歌コンクール告知】
2024(R6)年3月16日(土)17日(日) 大崎市松山体育館
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 フランク永井の目黒の豪邸は有名だでした。至る通りをフランク永井通りなどと呼ばれた。1955年にデビューして「有楽町で逢いましょう」の大ヒットで一躍人気スターに。ヒットは続き、1961年には「君恋し」で日本レコード大賞を得て、人気は不動のものとなりました。
 この翌年に邸宅は建ったのです。当時は人気スターの自宅の住所はおろか場合によっては電話番号までオープンでした。フランク永井の事務所も自宅でした。ファンクラブものありました。
 邸宅には、収録も可能なスタジオ兼練習室があり、フランク永井はレコードを出す前は、こもって納得いくまで練習していました。また、庭でゴルフの練習をしたり、愛犬と戯れる写真もアルバムで紹介していました。
 ここは、1985年に舞台を降りてからリハビリの拠点になります。地方の病院にも入院しました。7年間愛妻のご夫人が診ていたのですが、肉体的にも精神的にも参ってしまい、自殺未遂をしてしまいます。やがて離婚しました。
 実姉が付き添うようになり、豪邸を手放し、治療施設が完備したところに移ります。フランク永井は回復に至らず、2008年に永眠しました。
 元の邸宅があった場所は、その後パプアニューギニアの大使館に変わりました。このフランク永井邸のお庭は吉村巌によって創られました。邸宅ができた翌年に「小庭園」という書籍を出版されて、巻頭で紹介しています。
 さらに1960年には日刊スポーツ新聞社文化部に勤務のかたわら庭園研究をされておられた龍居竹之介が「新しい庭」を発刊され、そこでフランク永井邸の庭を紹介しています。
 ちなみに、この書籍では、フランク永井の恩師吉田正宅についての紹介をしています。吉田正の邸宅のお庭が紹介されているのは大変珍しいことです。吉田宅は1998年にお亡くなりになりましたが、ご夫人が亡くなった後に人手に渡りました、
 下記に、フランク永井のお庭についての紹介記事を復刻させていただきます。

「小庭園」著者吉村巌
【身辺に小さな庭を持つことは、生活にゆとりをあたえ、自らの趣味をそこに出現させることができる。
 ある人は、庭全体に花を植えて楽しみ、またある人は戸外室としての芝生に憩いの時を過ごすのである。私たちは狭い庭の中に美しい珠玉のような絵画的な庭を見ることがある。古い日本庭の中にも、新しいデザインの庭の中にも見られるのである.。
 しかし小庭が常に床間や壁間lこかけられている絵画のようであってよいのだあうか。やはりこの狭い空間は.生活に直結した憩いの場所であり、実用性も兼ねていなければならないのである。
 ここに掲げた二枚の写真は、この現行を書きはじめた三十七年の十二月に筆者の作った、フランク永井邸の庭で、狭い庭としてご覧頂く。】

「新しい庭」著者龍居竹之介
【フランク水井邸は建築がアントニン・レイモンド氏、造園デザインは吉村巌氏のコンビでつくられました。
 狭い敷地を有効に生かすペく、いろいろな努力が払われている点がみのがせません。主庭には楽器を一階の録音室に運ぶための大きなラセン階段が設けてありますが、このハンデを逆に利用して、主庭の一つのみどころにまとめあげているのは、すはらしいアイデアです。大いに参考になると思います。
 施主側にはほとんど希望はなかったといいます。わずかに隣家との境界にちょっとした目かくしが欲しいという程度だったそうです。
 結局は、そうしたまかせかたが、デザイナーに十分、腕をふるわせることになったのではないでしょうか。
 主庭にはモダンな陶器のアクセサリーと、杵型の庭園灯がそえられ、新鮮な雰囲気をかもし出しています。
 中庭は玄関横のわずかな空間につくられていますが、自然石の立石を中心に、御影石の丸石を周囲に配して、現代的な石庭の感じでまとめあげてあります。サビ砂利が落ちついた気配を感じさせるため、主庭とはまた趣きの変わったものとなっています。周囲には丸竹の垣をめぐらせてありますので、交通量が多いにかかわらず、見事に外部と遮断されています。
 約二〇平方メートルの中庭です。つまり六坪ほどということになります。これは、奥行きのある商店街の家などで、北側のスペースに庭をつくりたいというときなど、参考になるものだと思います。
 庭というものは同じ二〇平方メートルの土地につくられても、周囲がすいているとき、高い域界で区切られているときなどと、その環境の差によってまるで、違ったものかできあがってしまいます。この場所はいわば、その後者にあたるもので、こんな場合は、どうしても、見た目に、実際の面積以下の印象しか与えないものです。
 そこで、井戸を中心にしたプランがここでは採用されております。つまり一つのポイントをきめようとしているのです。
 四個の切り石を組んで井戸にしたものを、普通、組み井筒と呼んでいます。この井筒を西寄りに据え、水をたたえます。
 そして井筒のまわりには、景石を三個ほどそえるとともに、礫(こいし)が敷きつめられています。さらに景石の周辺にはトクサが植えられ、これで形がととのえられています。
 組み井筒中心の西側に対して、東側には地山をつくり、モッコクが、主木として植えられています。そして、建物寄り、つまり南側の部分は竹で緑どリをしたところへ、白河砂を入れて井筒と、地山部分をきちんと区分しているのです。
 井筒の脇には、道しるべ型の常夜灯を一基、うめこんで、実用と、景観を同時にかねさせるという配慮もみられます。】

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