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2018年02月24日15:31

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フランク永井の盟友松尾和子が期待を寄せたTBSドラマ「寺内貫太郎一家」出演

 フランク永井の盟友だった松尾和子。彼女のファンは多い。だが、波乱万丈の人生だった。まあ「ムード歌謡」を語るときには、今でも欠かせない人だ。
 歌はうまい。歌詞を表現するのにこの人ほど見事にできる人は少ない。恩師吉田正が「松尾の歌はため息なんだが…」と言わしめるほど、その女の色気、ムードを巧みに表現できた。
 だからそうした大人のムードを気に入る人には憧れのような雰囲気を醸しだした。これは同時に純情な若者には「男を声で誘惑する魔女」「男に女の手練で迫るイヤなやつ」とも見られた。
 同じ歌手の仲間でも人気は分かれる。松尾の性格は「まるで女親分だ」とその飾らない気安さをたたえるものと「もっと女性らしさ」を求めるものと。
 彼女は育児にも問題があったかもしれない。かてて息子への愛も半端ではなかった。周囲の悪魔の誘いに安易に乗って手を染める息子に社会の目が迫ると「家に戻って反省しろ」と。戻ってきた息子の言い訳を単純に信じると、こんどは「私が守る。じゃ逃げろ」と。
 これじゃ、ただのバカ母でだめかもしれないのだが、松尾の思考が単純で誰にも予想通りなために、同情と哀れさがつきまとう。
 芸能界の歌謡界。歌が売れるか売れないかで雲泥の差がでる水商売だ。売れれば湯水のごとくカネが動くが、いったん社会から飽きられればちやほやと豪華な生活は、たちまち消える。
 息子を逃がしたのは、当時住んでいたのは、現首相の父親の住んでいた政治屋さんの住居。取り巻く取材陣をマイて逃がせるような忍者屋敷の機能をうまく利用したのだ。だが、ここも売り払いアパートに越す。
 こうした仕事が薄れた当時には、ささやかなものでも仕事がくるのはありがたい。舞い込んだのは当時TBSの人気ドラマからだ。それが向田邦子脚本、久世光彦プロデュース、小林亜星主演の「寺内貫太郎一家」。松尾はこの線に大きな期待を寄せる。
 ちょい出であってもしっかりこなせば、準レギュラーぐらいの出演までいければすごいことになるかもしれない。。。と夢を膨らませる。
 ということで、さて、「寺内貫太郎一家」への松尾の関与とはどういったものだったのだろうか。
 ドラマは有名だ。当時の歌謡界でトップに君臨はしていないが、異彩を発揮していた三大作曲家(山本直純、浜口庫之助と)として勝手に命名している一人の小林亜星が主演している。悠木千帆=樹木希林の怪演、伴淳三郎、横尾忠則、谷啓をはじめそうそうたる出演者が毎週あばれまくる。
 松尾が関与したのは第29話。舞台、寺内石材店(石貫)で働くタメさんこと左とん平が松尾和子の大ファンでいつも?「誰よりも君を愛す」を口ずさんでいる。いつもファンレターを出している。
 それを知る貫太郎の母親きんこと悠木千帆が、松尾からのファンレターの返信を偽造する。度を越しているのは真っ赤な口紅で紙に移したマークを添えたことだ。それをホントの松尾からの返信と受け取ったとん平は喜び興奮のあげく、それに口づけをする。
 だが、直後にきんのいたずらと知って激怒し、大ドタバタになる…。
 とん平が手紙を開いて文面を見るときに、松尾がそれを自身の声で読むというのが「出演」だ。声の出演で映像ではないのが残念なのだが。。。
 1985年フランク永井歌手生活30周年のリサイタルで、フランク永井の舞台にあがり「東京ナイトクラブ」を一緒に歌っている。この年の暮れがフランク永井の最後の舞台となった。松尾はフランク永井とともに歌えなくなったことがさみしかったようだ。
 松尾は日本テレビ「池中玄太80キロ」には出ていたようだが、1992年に世を去る。1997年に恩師吉田正作曲家50周年感謝の夕べが関係者だけで催された。そこに出席してあいさつに立った吉永小百合は「鶴田さん、松井さん、フランクさんがおいでにならないのは本当に寂しい…」といっている。
 その恩師吉田正も「松尾には歌って欲しい曲がいっぱいあったし、書けと言われれば今も書ける。でも肝心の歌う人がいない。せめてフランク永井が健在なら…」と二人の弟子の早すぎる退場を惜しみながら、1998年に永眠した。
 さて「寺内貫太郎一家」はBS11で再放送中。

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