フランク永井歌コンクールは宮城県大崎市まちづくり協議会を中心に、実行委員会が組織されて取り組まれてきました。運営するホームページをときどき覗いていますが、昨年におこなわれた第12回を最後にその後の更新がありません。
私にも友人たちにももう止めたのか、と消沈し残念がる声がいくつも寄せられました。生誕の3月、命日月の10月は過ぎ、皆さんの心の予想のように開かれることはないと思われます。歌コンは誰もが知るように、2020年のコロナ禍で休止しました。第12回は何とか再開にこぎつけたものでした。その再開時に多数の意見がかわされたのは、再開の難しさです。基本的に主催する側の老齢化によるパワーダウンで、多数のボランティアを必要とする催しであるために、相当な難儀があったと聞きます。
フランク永井という昭和歌謡史に偉大な功績をのこした歌手を、生誕の地元の皆さんが理解して活動に力を注ぐということで、今まあで開催されてきました。だが、パワーあふれる年代の次世代、次々世代の方々にも、現実には、ここにパワー注げるかというと難しいようです。それは、フランク永井と同年代を共にした70歳以上の方々は別にして、現役で仕事をバリバリこなしている年代の人は、周囲にきいても、どこにきいても、たいがいは老齢年代の現役バリバリの時代と比べると、厳しい労働環境にあるようです。
仕事の量、責任の重さ、部下や同僚との指導力、助け合い、その負荷が果てないような重圧で、とても歌コンにまで手を貸せる状況にないようです。歌コンというか、フランク永井の偉大さへの理解はあったとしても、パワーが裂けないという現実が、再開の大きな要因のようです。
先日、栃木県日光市にある船村徹記念館が来年には閉鎖されるというニュースが流れました。これに先立ち、2017年には小樽市にあった石原裕次郎記念館が変換しています。さらには、昨年京都太秦にあった美空ひばり記念館が閉鎖されています。
美空ひばり、石原裕次郎という日本が生んだビッグスター、そして船村徹という昭和演歌界の最大級の作曲家の記念館が相次いで閉鎖しています。美空ひばりのはリニューアルのためということですので、再開は予定されているようですが、こうした閉鎖はの連鎖は、来るべきものが来たという印象を強く持たせます。ファンの年齢層の問題だけが原因ではありません。その一つとして考えられるのは、運営の資金を市とか上部団体に大きく依存していたことです。もう一つは、昭和のバブルの時代を生きたものの妙な傾向として存在していた箱もの意識です。
いずれも、厳しくいってしまえば、他への依存心です。極端には多少赤字でも税金が負担してくれるという、甘い、たかり根性でしょう。いくらそれをきれいに表現しても、本質は同じです。分相応という言葉が昔からあります。身の丈に合ったものにし、赤字を出さない企画と運営力、負担を血税には絶対にかけないという、きあめて当たり前で、当然のことで運営するべきものです。
オリンピック、万博といったことで、見る人には、十分すぎる経験をみているはずです。
そこで、わがフランク永井常設展示室の状態はどうでしょうか。フランク永井展示室は、大崎市ふるさと歴史館の一画に、2009年から常設されています。大崎市の松山というところは、普段にぎやかなところでも何でもありません。フランク永井のレコード、症状、遺品など貴重なものが多数展示されていて、そこに行けば、ゆっくりとフランク永井の活躍が忍べます。
歴史館のなかの一画であるゆえに、基本は地元の歴史資料館です。訪問する人も決して多くはありません。だが、知りたいことをきちんと学べる場所として、揺るぎない存在感を出しています。
ちなみに、吉田正音楽記念館は日立市の広大なかねみ公園、頂上に建立されています。最高の景色が楽しめる場所です。それだけに、公園には年中案敵的な客が来ます。そのなかに、吉田正と吉田門下生のファンが必ずおり、記念館を訪れます。吉田正関係のファン層は、もちろんフランク永井のファン層に重なっています。だから、加齢によるファン数の低下は避け得ません。だが、注目するべきことは、この記念館は日立市と吉田正関係組織からの一定の支援はありますが、基本的に自力で運営していることです。
吉田正の残した豊富な作品を資産として、定期的な催し物を企画しています。一度来た方でも、リピートできるような催しの内容を追求しています。だから、開始時点からこのように自立を前提にして、身の程知らずでない分相応に徹した運営は、他から見ていい手本ではないかとおもいます。
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