いよいよ来月に近づいてきた今年の「第11回フランク永井歌コンクール。来月19・20日(土・日)に開催される。
全国的にもこのフランク永井の名を冠したユニークな、歌コンクール。開催直前に発生した311の東日本大震災のときは中止になったものの、初回から12年の開催を誇ります。開催地はフランク永井の生誕地である、宮城県大崎市の松山。そこの体育館で、フランク永井活躍時にここで公演をした想い出の場所になる。
松山の地元にこだわり、あえてここでの開催を毎回続けてきた。地元の方々がボランティアで準備をすすめ、当日も町でに出て全国からの来客をあたたかく迎える。
この大会は1日目が予選で、翌日開催の決勝大会へ参加する30組が選出される。初回から全国のフランク永井の歌に自信があるという方々が、気合を入れて挑戦する。何回か強い雨の日になったときもあったが、声援を送るファンがいつも満員、席を埋める。そうとうな遠方からも、集まる催しで、今年も期待を集めている。
松山のさまざまな歴史的なみどころもあるし、近くにはフランク永井常設展示室がある。ここでは、フランク永井のすべてが一覧できるように、さまざまな工夫がこらしていて、ファンはいつ見ても胸を躍らせてくれる。ぜひとも、この機会に足を運んでみたらいかがだろうか。
さて、フランク永井の出演、あるいは主題歌・挿入歌で関与した半世紀前の映画について、ちょっとだけ触れたい。フランク永井がデビューしたのは、1955(S30)年であった。そして1957年に「有楽町で逢いましょう」を歌って、大ヒットを実現して、全国に名が知られるようになった。その後も大ヒットを連発した、昭和歌謡の大御所がフランク永井。
そのフランク永井は、当時まだラジオと映画が大衆娯楽の中心だったことから、人気を得るといくつもの映画に関与した。この全容は文四郎にも正確には分からないのだが、これはというものについて、掌握した範囲で紹介してみたい。
封切り公開された順にリスト化してみた。
1958.02.12 夜霧の第二国道(日活)
1958.04.29 羽田発7時50分(日活)
1958.05.13 場末のペット吹き(日活)
1958.05.18 夜の波紋(松竹)
1958.07.29 西銀座駅前(日活)
1958.08.12 ロマンス祭(東宝)
1958.10.07 有楽町0番地(松竹)
1958.10.07 有楽町で逢いましょう(大映)
1958.11.05 夜霧の南京街(東映)
1958.11.12 東京午前三時(日活)
1959.01.09 秘めたる一夜(大映)
1959.01.15 らぶれたあ(日活)
1959.02.04 青い国道(日活)
1959.02.18 たそがれの東京タワー(大映)
1959.05.12 夜霧に消えたチャコ(日活)
1959.05.31 俺は淋しいんだ(日活)
1959.01.03 セクシー・サイン 好き好き好き(大映)
1960.06.18 俺は流れ星(日活)
1961.08.21 続々番頭はんと丁稚どん(松竹)
1962.02.03 君恋し(日活)
1963.08.25 霧子のタンゴ(日活)
1966.04.01 沓掛時次郎 遊侠一匹(東映)
公演でのトークで「有楽町で逢いましょうは2本目で、その前に小林旭と夜霧の第二国道を撮った」ということを言っている。だが、これを見ると、有楽町で逢いましょうの前に、そうとう数を短期間で撮影し、公開されていることがわかる。この年だけで、10本だ。
ビデオ化されているのは「霧子のタンゴ」「有楽町で逢いましょう」だけなので、いつでも見れるというわけにはいかないのが残念だ。ときたま小さな映画館で復刻上映されるのを待つか、これもいつ放送されるか分からない有料テレビ放送での復刻を待つかとなる。
ここで紹介した映画のポスターが上記の写真。最後の「東京ナイト・クラブ」はこのような映画ポスターらしきものが残されているのだが、その映画が実際にあったのかどうかは不明だ。おまけで上げてみた。
21点の映画だが、ポスターにはその時代の特徴で数種類作られる。通常版の縦2分の一サイズと、横2分の一サイズがある。文四郎の確認によれば「東京午前三時」などは6種類を確認している。1種類しか確認できなかったのは「有楽町0番地」。封切り時のポスターが確認できなかったのは「霧子のタンゴ」で、それにしても合計72点確認できた。
それは、どんなだったのか。それが、来月の歌コンの会場にこられれば、もしかして確認できるかもしれない。ということで、この当時引っ張りだこだったフランク永井の人気がわかる、映画の話でした。
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