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2019年08月10日17:56

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フランク永井と柳家小三治と安藤静夫と舟木一夫、ちょい出

 今日十日は文藝春秋の発売日。芥川賞をウォッチしている友人から連絡があった。何かと思いきや「見たか!出た文春のグラビアの柳家小三治を」と。
 そんなぁ、文学にはおいらぁ弱いの知ってんだろうっ!と返答はしたのだが、気になって覗いてみると、確かにグラビアページで柳家小三治が特集になっている。そこで、該当のページを見てみると記載がある。「楽屋で髭を剃る。親交のあったフランク永井の唄を口ずさんだりしながら、入念に準備を整える。徐々に、感覚を研ぎ澄ませていく」とある。
 芥川賞受賞作品をきっと読まないのだが、貴重なフランク永井の「ちょい出」があったという話。
 柳家小三治はここにあるように、フランク永井が元気で舞台で活躍しているときからの熱烈なファン同士で有名。その小三治がいまだに鮮やかな話を現役で聴かせているというのは、それだけで感動もの。鏡!。
 フランク永井はデビュー前から話が大好きだったようだ。彼のライブでのトーク、映画出演でのセリフ回し、聴いていみれば、その軽妙なかたりは、落語の発声のようだ。
 柳家小三治は落語の話の切り口のうまさが定評。それをまくらというのだそうだが、そのまままくらを収めた「ま・く・ら」(1989講談社)を出版している。とうぜんフランク永井にかかわる話題をそこに入れ込んでいる。
 舞台で自ら話すということと少しは関係があるかもしれない。その興味の対象はどんどん深まり、勝手に師匠を決め込み、勝手にフランク亭永井をかたる。当時の大衆の娯楽の対象は、流行歌、落語、浪曲、民謡…。入れ込んでいく。
 そうしたフランク永井を、噺家も快く許した。このくだりは、フランク永井大全集(1975S50年 SJX-8022〜8031)の10枚目の盤で語られている。この盤には音で唯一残っているのではないか、と思えるフランク永井自身の語った小噺「夕立や」が載っている。
 この世界でフランク永井との深い交流があったのが、その世界を語れば大家の安藤鶴夫。家族ともどもの深い親交があった。彼が書いて残した「昔・東京の町の売り声」(1987旺文社)は、これも光っている。
 テーマは全編通じて、日本の町の、といっても安藤が生活する周辺のことだが、様子が映像のようにみごとに映し出されている。いや、ここで特記したいのは、彼の文章だ。といっても、それは安藤が持つラジオ番組(ニッポン放送ラジオ・エッセイ)での語りの再現だから、当然だろうと言われればそうなのだが、その語りがすごいのだ。
 日本語がこれほどまで、はっきり、ぴったり、明確に、みごとに、口から自然に出てくるということ。安藤と落語の結びつきがいかに自然な、生活そのもの、日常であったかを証明しているのではなかろうか。と、読んでいてエラく感心したところであった。
 この安藤は明治百年、つまり1968(S43)年に国中でさまざまな行事がとりおこなわれてときに、愛知県にある博物館明治村でも記念祭が行われ、それに関与した。そこでは、国内ばかりにかぎらずにクラシックから大衆芸能までがフル動員された。このときにめいじ百年を記念して特別に作られた「明治頌歌」をフランク永井に披露させた。
 フランク永井は第2回リサイタルで長編歌謡「慕情」を歌ってその実力を認められていただけに、難しいと思える時代をたたえる古文調の「明治頌歌」をどうどうと歌いこなしている。
 さて、安藤の残した上記著作で、やはりちょい出がある。それは舟木一夫に関する記述の箇所。舟木がまだデビューする前に安藤と近い四谷周辺に住んでいて、町のお風呂で語り合う中。
 舟木(厳密にはデビュー前なので異なる)がこの当時よく口ずさんでいたのがフランク永井の唄だったというのだ! それからしばらくして、遠藤実のもとから舟木一夫で「高校三年生」を歌って出た。たちまち大人気に。
 遠藤から事情があって吉田正が預かったのが橋幸夫。彼は遠藤のもとにいれば舟木の名が付けられる予定だったと、橋が後に語っている。橋と舟木一夫と西郷輝彦は初代?の御三家でその後この世界を席巻した。お三方ともこれからも元気で歌い続けてほしい。
 ということで、今回はフランク永井が、何かの拍子にちょいと出てくることが、つらつら思い出されて記した次第。
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