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2019年07月13日14:39

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【番外編】特筆の作曲家−米山正夫「昭和は輝いていた」での放送

 米山正夫は、フランク永井との直接の接点はない作曲家である。コロンビアやクラウンという、どちらかというとビクターの競合のかかわりが強い作曲家。圧倒的に有名なのは美空ひばりに、優れた印象深い曲を残していることで有名。だが、フランク永井と無縁でないのは、恩師吉田正との関係である。
 吉田正が先の大戦で徴兵され大陸に送られた。シベリア抑留を経験することになるのだが、中国地方にいたときに病気する。このときに同じような運命でそこにいてた米山と会う。シベリアであのドラマチックなエピソードの「異国の丘」の元曲(「大興安嶺突破演習の歌」、詩の原題は「明日も今日も」で増田幸治による)を作曲した。抑留帰国船で日本へ帰ったら、その歌がNHKから流れて(素人のど自慢では中村耕造「俘虜の歌える」の題で歌った。やはりフランク永井の恩師作詞家の佐伯孝夫が、それを聴きビクターから竹山逸郎と中村耕造の歌でレコードが発売。佐伯が詞を整え「異国の丘」とした)いて、作曲者を探していると聞く。
 これが吉田自身が作ったものであるのはすぐに気づいたのだが、それを証明するものが乏しい。しかし吉田は先に帰国しすでに活動を開始していた米山に相談し、連れ立ってNHKに行って作曲者だと告げる。その後同僚がシベリアから歌を記録した手帳を靴底に隠して持ち帰ったものがあり、それが決定的な証拠になって吉田の作曲家は証明された。
 吉田正と米山正夫。そしてこれで吉田はビクターから専属作曲家として迎えられた。フランク永井が登場する素地を作るのに深く関与したともいえる。
 米山正夫に筆者が深い関心を持ったのは、そうしたエピソードを知る以前に聞いた美空ひばりの「車屋さん」だ。
 美空ひばりは知らない人がいない。例に漏れず子供のころから聞いた。「港町十三番地」などは山村で育った少年たちには、あこがれでもあった。1961(S36)年「車屋さん」を歌う。当時はガキだったからいろいろ映画やら美空ひばりの人気は大変なものだな、と思う程度だった。だが、美空はその後どんどん調子を上げていく。絶頂期には、歌のところどころで、妙に響く低音で声を響かせ、何か「どうだ、こんな声は他の歌手では出せまい」と言っているような節を聞かせだす。
 これは筆者に反発を生んだ。鼻にかけているのか?ということで、以後美空は嫌いになるのだが、何度もこの記事で取り上げているけど、彼女の歌唱のすごさや、残した栄光の記録は高く評価している。
 振り返ってみて、美空ひばりの歌で好きなのは「車屋さん」と「お祭りマンボ」かな。その「車屋さん」を作ったのが米山正夫だ。いずれも並の歌謡曲ではない。テーマといい、歌の構成といい、歌唱といい、つまり美空ひばりという歌手に完全特化した歌といっていい。
 聞いていて心地よい。実に楽しい。芸子と思しき娘が恋をする。人力車が登場する。車屋さんにラブ・レターを頼むという、映像効果、感情変化が手に取るようにわかる。途中から都々逸に変調するが、美空の歌唱が光る。といったいわば夢想もので誰をも楽しませる趣向だ。
 「お祭りマンボ」も似ている。こちらは原六朗で非演歌調の明るい曲を多く作った作曲家。「お祭りマンボ」は詞もつくり、編曲もしている。やはり、米山同様、美空ひばりに特化して、すべてのイメージをご本人ですべて完成させている。
 吉田正もそうだったが、歌手のもつ個性、大衆歌手が聴く人に何をどう見せれば最大の効果を生むのかというのを、深く掌握して作っていた。歌手にたいする半端な理解では傑作は生まれない。
 米山をさらに知ったのは、「ラジオ歌謡」の知人の誘いで歌謡祭を何度か見たのだが「山小屋の灯」をはじめ「森の水車」などこの種の多くの歌を作っていることを知ったときだった。当日放送でゲストに出ていた水前寺清子「三百六十五歩のマーチ」とか、プロの歌作りの視点を常に外さない。
 吉田正も米山正夫もシベリア抑留経験者。二人とも明るい歌を作った。戦争が生むのは人間最大の理不尽と悲惨だが、その苦しみの深さに反比例するような明るさだ。
 米山正夫にフランク永井への曲も1曲でいいから作って欲しかった。などといつもの幻想をいだきながら。
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