お守りがわりになると思い簡単ケータイを持たせてから数年、案の定父親はほとんど使っていないようだ。こちらがEメールを送信したときも、その返事はほとんど自宅の固定電話から返ってくるし、それ以前にほったらかしにされていることのほうが多い。何かの祝い事メールには、いちおう返事はかえってくるけれど、あきらかに母親による作成跡のあるものばかりだ。
なので今回はどこどこで何時に落ち合おうという用件を、あえてCメールのほうで送信してみた。今後のことを思うと、とりあえずはCメールのほうだけでも慣れてほしいという気持ちもあり、さらにまちがいなくそこに母親はいないという状況をあえて狙うことにした。すると2時間ばかりして送られてきた返信にはこのように短く記されてあった(原文のまま)。
『信了解。しょうせいもそのころにはゆける所存。』
なにやら手のひらのスマホの向うには、タイムトンネルをくぐってはるか明治時代が開けているような気がしてきた。とはいえ父親は昭和4年生まれ。ほぼ戦前の教育を受けてはいるが、戦後は国際化する日本の原動力となって働き、海外駐在経験も長かった人間だ。ところがいざメールとなるとこういう言葉を選んでしまう言語感覚はいったいどこからくるのだろう。
もちろん父親とはふだん日常の会話体でしゃべっているし、紙に書かれた文章を読んだこともあるが、まあふつうのいわゆる手紙文だ。やっぱりケータイという現代の最新機器を目の前にすると、妙にかしこまってしまうということなのだろうか。その後も何度かメールを送ったが、やっぱり折り返しは電話ばかり、第2信が待ち遠しいきょうこのごろである。
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