2008年10月27日にひっそりとフランク永井は目を閉じた。この命日にあたる10月はフランク永井にちなんだ催しが重なる。すでに9回を迎えた「フランク永井歌コンクール」は激しい雨が屋根をたたく中で盛大に催された。
そして命日の27日午前3時から、例年のことではあるがNHKラジオ深夜便で思いを寄せた「フランク永井特集」が放送された。3時台は「にっぽんの歌こころの歌〜思い出の歌謡スター」というコーナーである。
当日のナビゲータはNHKで長らくテレビのニュースの顔を務めた桜井洋子アナウンサー。
流された曲目はフランク永井の初期のヒット曲を中心に10曲。昨年にビクターエンターテインメントから発売された「懐かしのフランク永井〜A面シングル・コンプリート」から使われた。
01_1958:VICL-64528 西銀座駅前
02_1958:VICL-64528 東京午前三時
03_1958:VICL-64528 羽田発7時50分
04_1958:VICL-64528 有楽町で逢いましょう
05_1958:VICL-64529 こいさんのラブコール
06_1959:VICL-64529 夜霧に消えたチャコ
07_1960:VICL-64531 東京カチート
08_1961:VICL-64531 君恋し
09_1963:VICL-64532 赤ちゃんは王様だ
10_1965:VICL-64534 妻を恋うる唄
「赤ちゃんは王様だ」は第5回日本レコード大賞歌唱賞に輝いた曲。この年の大賞は梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」。なぜに赤ちゃんテーマ寄りだったのかは分からないけど、こんにちは赤ちゃんには脱帽だ。森永乳業のテレビコマーシャルで長く歌われていた。フランク永井はこの時期、服部公一作品を集中的に歌っていて、おじさんシリーズでLP「フランクおじさんといっしょ」(1961:SLB-13)を出している。
フランク永井のやさしく、ソフトな声がこども向けに大成功をしているのだが、やはり夜の男女の愛と別れをたっぷりとムードを込めて歌うという売りと、かぶさるのを嫌ったのか、これきりになってしまった。
ちなみに「赤ちゃんは王様だ」の当時のEP盤が手元にない。ソノシート盤はいくつもあるのは、当時安価でよりひろく幼児や小学生に聴かせたかったのだろう。
デビューしたのが1955(S30)。上記の曲で最初にリリースしたのが「東京午前三時」でその二年後。同年に「羽田発7時50分」を出しているが、初めて大きく売れたのは「有楽町で逢いましょう」だ。これでいちやくというより、爆発的な人気者になり、さかのぼっての曲が売れていった。
これ以来、まさに売れっ子になるのだが、恩師吉田正の底力を指摘したい。吉田は後に帝王と呼ばれるほどのヒットメーカーになり、歌謡界をリードしていく。この吉田が作曲家としてやっていけるという自信を得たのが「有楽町で逢いましょう」(佐伯孝作詞)の成功。
この吉田正がフランク永井を見出し、作曲家の佐伯とのコンビで次々と精魂込めた力作を作っていく。これをフランク永井が想定を超える歌唱で応えていく。こうした中で、後世に残る名曲がわずか数年の間に世に出されたのだ。
「こいさんのラブ・コール」は労音ライブと大阪で大きな歌声普及運動でもあったABC朝日放送の「ホームソング」が生んだ傑作だ。現地大阪の石浜恒夫作詞、大野正雄作曲で、フランク永井の関西地域での人気を定着させた。
「夜霧に消えたチャコ」は吉田正の親友でもある異才渡久地政信の作品だ。これは第1回レコード大賞歌唱賞を得た。映画化された。「俺は淋しいんだ」「ふるさとの風」をはじめ多数の作品をフランク永井は歌っているが、彼の歌唱のすばらしさはじっくり聴けば聴くほどつたわる。
深夜の時間帯には強いというファンもいるが、筆者はとんとダメだ。ならばといつも録音に挑戦するのだが、成功したためしがない。今回は後半だけが成功したが、結局はいつも録音してくださる知人にまた頼ってしまった次第。
ラジオ深夜便でフランク永井を担当するのは初めてとも思うが、桜井アナのナレーションを期待して聴いた。
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