今週の「武田鉄矢の昭和は輝いていた」も楽しく拝見しました。「洋楽カバー100 年史〜ヒット歌謡曲の源流」という2時間番組です。
フランク永井と直接的な関係はありません。強引にいうなら「愛の讃歌」でしょうか。前回のブログでも取り上げましたが越路吹雪の歌唱で超有名なこの歌の作詞は、彼女の歌唱力のすごさもありますが、訳詞をした岩谷時子の貢献は欠かせません。
元歌は1947(S22)年エディット・ピアフの歌で、彼女自身の作詞作品です。発売は1950(S25)年。2年後に岩谷訳詞で越路が歌いました。背徳的ともいえる原詩を岩谷は「私の場合は越路さんにあわせて書いた」と、ほとんどゼロから作詞した「超訳」をしています。
フランク永井が明治時代のヒット曲「君恋し」を大ヒットさせ日本レコード大賞を得たのですが、その際の寺岡真三の編曲のような貢献です。寺岡はフランク永井自身のアドバイスなどを取り入れて、あの驚愕のジャズ風「君恋し」を一気に現代によみがえらせたことが、フレッシュな新曲扱いで大ヒットになりました。
「愛の讃歌」は1961(S36)年に「フランク愛を歌う」というアルバムで、フランク永井は井田誠一の訳詞で歌っています。当時ビクターの井田は洋楽の訳詞の多くを手掛けていました。比べてみると井田の苦悩がわかります。相当な超訳をしているのですが、シンプルさ、分かりやすさは岩谷にはかないません。
さて、洋楽の日本での流行の歴史で欠かせない訳詞家がおります。漣健児です。戦後に米軍の日本占領は米国流文化と価値観を日本に徹底することでした。鬼畜米兵をスローガンにしつこく大国米国とたたかった日本を百八十度変えるという、気合の入った大作戦が遂行され、それは結果的に米国にとって予想外の大成功を収めました。
善し悪しは別に「3S」と呼ばれた妙な作戦、スポーツ、スクリーン、セックス。いつのまにか米国へのあこがれで覆いつくされたわけです。そのひとつが米国で流行していた歌、つまり日本から見て洋楽、ジャズ、カントリー、ブルース、ロカビリーの流入です。著作権は免除で開始されました。
ラジオから流れる音楽は、戦前・戦中にもあったわけですが、その量は圧倒的で、しかも敵国の歌が禁止されていた期間があったことも影響して、その新鮮な響き、音はたちまち魅力として受け入れられました。ただ聴く分には言語の相違は意味に無関係に、音と響きで受け取られます。これを日本で日本人に歌わせてレコードとして売るとなると言語が問題になります。
日本語にして流行らせたい。そこで登場したのが訳詞家たちです。その役割を発揮したのが漣健児だったわけです。写真は彼が手掛けた華々しい曲。特に代表的なのは飯田久彦の「ルイジアナ・ママ」。日本語と英語の圧倒的な違いは言葉の数。これを原詩に合わせて訳して日本語にして音符に当てるのはほとんど不可能な世界。
漣は言っています。「日本に渡された詞はほとんど一番だけ。二番三番、あとは想像で適当なストーリーを仕立てる」。岩谷じゃないけど「歌う歌手にあわせる」ことで、不利な条件を逆転、歌手、メロディー、テンポをベースにしてほとんど新たに作りあげたのです。
見事と言っていい。原曲を上回る芸術作品になっています。
洋楽輸入の歴史が激変を迎えたのはプレスリーとビートルズの登場。これは舞台で歌手が歌を聴かせるということが主だったのが、爆発的な変化を起こします。演奏、歌唱、容姿、振る舞い、歌詞の響きが統一され、視聴者は訳詞の入る余地を許さなくなります。原題、原音のままを受け入れることに価値を見出します。
これは映画も同じです。映画の題名の邦訳が消えました。
ただ、これも先のブログで紹介しましたが、ミュージカルの舞台で、日本人が企画してコピー講演するところでは、逆に日本人が見て、聴いてわかる舞台にするところに大きな努力を図っていることもあります。
私の年代の視聴者は、いろいろと頷きながら楽しんだのではないでしょうか。
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