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2025年09月14日17:47

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BSテレ東「プレイバック日本歌手協会歌謡祭」ひさびさのフランク永井登場

 朝にテレビ欄を見ていてびっくりしました。「フランク永井松尾和子」と出ていたのは、6日のBS東京「プレイバック日本歌手協会歌謡祭」です。お二人の名前が出るというのは久々です。早速にビデオ録画もONにして観賞させていただきました。
 1984(S59)年の7月放送「夏祭りにっぽんの歌」でのデュエット「東京ナイト・クラブ」でした。もちろん、うれしい一時でした。しかし、例によって一番だけのぶつ切りで、残念な気持ちも残りました。テレ東のこのときの番組での歌唱はは2番までうたっており、2分30秒もの。テレ東がこの歌を所有しているのは1982年「にっぽんの歌」と2回分ですが、再放送時はたいがい84年の1番です。1番だけのぶつ切りにする理解が理解できません。
 「星空に両手を」を延々流すより、はるかに「東京ナイト・クラブ」を2番までちゃんと聴きたかったと思うのは私だけでしょうか。その残念さを少しだけ埋めてくれたのは、牧村旬子と三島敏夫の歌った「銀座の恋の物語」でしょうか。歌唱はけっしてうなずけないまで(失礼ついで)も、石原裕次郎と原曲を歌った牧村旬子が、テレビで歌うというのは、過去にほとんどなかったからです。
 「銀座の恋の物語」は、フランク永井と松尾和子の「東京ナイト・クラブ」の大ヒットを受けてにわかに作られたものです。テイチクでは裕次郎を抱えているのだから、同じような曲を作って歌えば、大ヒット間違いないとスタッフは考えたとのことです。当時私は知らなかったのですが、「玄海ブルース」「カスバの女」などを作った大高ひさおが作詞をし、映画音楽などでも大活躍した鏑木創作曲。
 裕次郎は撮影で大忙しだったが、無理をいって急遽歌わせた。裕次郎は歌いはしたが、終わるとすぐに忘れたともいわれる。ところが、レコードを発売すると爆発的な人気を呼ぶ。映画「街から街へつむじ風」の挿入歌になり、直ぐに同名の映画が作られて主題歌となったというものです。
 「東京ナイト・クラブ」では、松尾和子が「…好きになったの、もっと抱いて…」と色気たっぷりでささやく。これで放送コードに触り、放送禁止となりました。何年かして、おバカそのものの封印は解消させるのだが、その間に「銀座の恋の物語」は裕次郎人気と重なり大ヒットを遂げたわけです。
 「東京で一つ、銀座で一つ 若い二人が〇〇〇〇 銀座位の恋の物語」は、大人というより若い二人に明確に焦点が当てられていて、直ぐに覚えられ、口ずさめます。有楽町、銀座には、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」と裕次郎の「銀座の恋の物語」の石碑が建っています。
 現パナソニックがひとときビクターとテイチクの親会社であったこともあり、兄弟会社として双方のトップ歌手、フランク永井と裕次郎の歌唱を交換する企画がすすみ、裕次郎と八代亜紀が「東京ナイト・クラブ」を歌い、フランク永井と松尾和子が「銀座の恋の物語」を歌いました。
 デュエット曲は歌手自身が楽しく歌うことも大事です。年代不明ですが、TBSでフランク永井と松尾和子が歌った「東京ナイト・クラブ」の映像では、二人の楽しく歌う表情が満面に出ています。おまけとして、フランク永井はコロンビアの島倉千代子と1982年にこの歌を歌っています。同年代にデビューして活躍した歌手同士だけに、画期的なシーンとして記憶に残っています。
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