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2022年03月07日13:05

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続・歌手生活20周年記念「魅惑の低音・フランク永井大全集」でのフランク永井評

 「魅惑の低音・フランク永井大全集」は、フランク永井についての情報の宝庫です。デビューして20年、1975年時点の交流関係がよくわかります。フランク永井をファンとする方々は多方面にいました。同じ音楽界に限らず、落語界、スポーツ界、政治・経済界と幅広い交流がありました。
 一様にフランク永井の飾らない人間性をほめたたえています。それに歌唱に「品を感じる」という声が多いのが特徴です。
 この十巻全集に添付されているインナーノートには、何人かの方が紹介文を添えています。前回に引き続き、紹介させていただきます。貴重な文書で、フランク永井の記録を残すためにも大事なことと思い、取り上げさせてもらいます。(右の写真は母君と)

低音の魅力と役割(森田潤:ジャーナリスト)

◆高音美声が大衆歌謡の伝統だった
 フランクが、初めて歌謡曲のレコードを出したのが、昭和三十一年、「場末のペット吹き」だった。
 その前後は、曽根史郎の「若いお巡りさん」、三橋美智也の「リンゴ村から」、鶴田浩二の「好きだった」、それに 三浦洸一の「東京の人」、春日八郎の「流転旅がらす」などがヒットしていた。
 その一方で、東海林太郎をはじめとするベテラン陣、藤山一郎、灰田勝彦、岡晴夫、青木光一、ディック・ミネ、林伊佐緒、小畑実、近江俊郎、曽根史郎、竹山逸郎、伊藤久男といった、いまでは�爐覆弔瓩蹲瓩良�類に入る歌手が、第一線で活躍していたし、白根一男、三船浩といった新人も登場したころである。
 ところで、当時の歌の傾向としては、どの歌手もメロディーを朗々と歌い上げ、澄んだ美声で訴えかける唱法がいいとされていた。
 ちょっと変わったところでは、クラシックぼりに声量豊かに歌い上げる伊藤久男、か細いが情緒纏綿(じょうちょてんめん)とした田端義夫、やけにカン高いがこぶしで聞かせる三橋美智也らがいたが、それもメロディーを高らかに歌う美声主義には変わりなく、画一化した唱法が歌手の身上とされていた。
 つまり、高音の美声で勝負していたわけである。
 これは、戦前、戦中を通じての、日本の大衆歌謡の伝統でもあり、戦後もNHKのラジオ歌謡や素人のど自慢で、この傾向はきびしく踏襲されていた。
 アメリカのルイ・アームストロングやナット・キング・コールのような、ガラガラ声の歌手の存在は、まったく無視され、当時の状況からは、森進一のような歌手の誕生は、許されなかったのである。

◆大衆の「歌を語ろうとする情感指向」に注目した吉田正
 それほど、高音美声主義の中で、フランク永井が誕生した。
 それまでの通念からいえば、決して美声じゃない。しかも、低音である。そのうえ、美男でもない。すべて型破りだった。
 そのフランクが、次から次へとヒットを飛ばしていったのは、大衆がその声を望んでいたからなのである。
 その低音も、ジャズのビブラートの余韻があり、フィーリングがいかにもバタくさい。だから、それまで数多くの美声派歌手ばかりに慣れ親しんできたファンの耳には、なんと奇異にうつったことだろう。
 だが、そういうフランクを、大衆のものに密着させることができたのは、吉田正さん以下スタッフの大衆の欲求を見抜く洞察眼がさえていたからにほかならない。
 「有楽町で逢いましょう」が大ヒットしてからしばらく後、現在はなくなってしまったが、新宿松竹劇場が、新宿駅甲州街道ぎわにあり、そこでワンマン・ショーをやっていたフランクを、楽屋に訪ねたことがある。
 フランクは、実に気軽に応対してくれて、気取らず素朴な態度に、こちらはすっかりイカレてしまったのだが、その時に語った言葉が、今だに忘れられない。
 「ポクは悪声なんです。この悪声がどうして受けるんでかねえ」
 フランクの歌には、そういった気取りのない、人間くささがあったのだと、語り合った後で、気が付いたのだ。


◆アメリカナイズの波が低音ブームを押し上げた
 ピーンと張りつめた高音には、二枚目の気取りがどうしてもあるが、フランクの低音はオツにすまそうとする、余計なものがないのである。そこには、歌を歌おうとするより、歌を語ろうとする情感指向が働く。
 そして、都合のいいことに、ちょっぴりキザっぽさが、あの低音に含まれている点だ。そのキザっぽいとは、ジャズ的なフィーリングのことだ。
 歌手の道へ入るまでは、米軍キャンプで長らく働いていたが、そのころの若者がだれでもシビレたように、フランクもアメリカの音楽の魅力にダウンした。
 終戦後、ようやくアメリカ文化が浸透し、日本の中にアメリカナイズが急速に深まりつつあったころだ。コカコーラもチューインガムも、アメリカの物質文明にかなう物が、日本には一つもなかった程に叩きのめされ、早くアメリカのような豊かさを手にしたいと、大衆がわき返えっていたものだった。
 そうした、大きなウズの中で、フランクがジャズに心酔し、バタくさいアメリカ文化を吸収しようとしたことはふしぎではない。
 そして、身に付いたのが、あのジャズのキザっぼさだが、これが、アメリカ文明への大衆のあこがれとみごとに合致した。
 あれから二十年。日本の音楽状況も激変を続け、若いロック・グループが海外へ進出をはかるまでになったが、その歴史の発展には、フランクのような存在が大きな触発の役割りを果たしていることを忘れてはならないだろう。
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