きのうの写真から22年後、こんどは日付がきっちり裏に。2枚ともに登場するのはふたり。左端の祖父と右から3人目の曽祖母。祖父はこのころ船場で繊維業界誌の編集長をしていたと。曽祖母の人生最期の数ヶ月は大阪のウチが面倒を見て、当時幼稚園児だった私も記憶あり。そのあいだウチは針中野の小さな長屋に7人暮らし、いまではとても信じられない。
祖父と並ぶ女性は祖母。生まれ育ちは東京・馬込あたり。ちょうど1900年生まれなので年齢はわかりやすくこのとき34歳。83歳で亡くなったのは私が大学生のとき。ずっと同居していたから可愛がってもらったというより元教師の血が発揮され躾けてもらったというほうが当たっている。そして右端の男性が22年前は渡米中だった曽祖父。敗戦前に亡くなっているはず。
さて、子どもたち。真ん中の背の高いのがウチの父親でこのとき5歳。右が叔母で左が叔父。3人ともいまでもまだまだ元気、というかウチの母親ふくめそれぞれの配偶者がみな先に亡くなっている。当時一家は港区の市岡に住んでいて、これは大丸の写真館で撮ったとのこと。たぶんお正月に曽祖父・曽祖母が広島から出てきたのでそろって一枚ということに。
この一家気合いの厳粛なる記念撮影を、21世紀令和の時代の末裔は簡単にスマホで接写したうえにSNSなるものにアップし、好きなことばかりほざいてる…。ということで今回の貴重な写真群を、最新の技術をもって未来永劫保存していくのは、本家の長男である私の役割なのかなと。なんだか妙な重責感、あと100年などと言われるとちょっと困るけども。
ログインしてコメントを確認・投稿する