ご本人にとっては不本意な話かもしれないけど、このひとの相撲っぷりは幕内上位にいたときより、十両に落ちてからのほうがずっと面白かった。勝ったときには「ふん、こんなところで若造相手にやってられるかい!」と言いたげ、ややふてくされ気味に勝ち名乗り。そしてカラダが思ったように動かず負けたときは、とても悲しそうな表情のまま土俵を降りていたのだった。
安美錦が平成の大横綱・貴乃花の最後の対戦相手だったことはよく知られている。千代の富士の息子が相撲取りになって、その役割を担ったのなら面白い話だけれど、まあそれはできすぎたファンタジー。でもそのころの安美錦だって、いまよりずっと細身の小兵力士、若手のホープのひとりだった。まあさすがに次代をになう力士というところまではいかなかったけど。
ちょうどそのころあるウェブマガジンに“期待のイケメン若者”みたいな特集があり、アスリートだけでなく各業界から若い人材がセレクト、角界から選ばれたのが彼だったからビックリ。まあ当時のウェブマガジンなんて万人のものではなく、先鋭的なものを求めるひとやちょっと変わったモノに飛びつくひとが読者、彼の得意技のようにヒネリを加えたということなんだろう。
関取在位117場所、魁皇とならぶタイ記録を達成して引退。117場所すなわちほぼ20年、関取の地位を守りきったなんて想像を絶する。その後の貴乃花が波乱の日々をくりかえすあいだ、彼は黙々と相撲を取り続けていたということ。こちらはただ面白がっていただけど、ケガとの闘いが続いた晩年は本当にツラい日々だったと思います。長い間お疲れさまでした。
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