先日久しぶりでご近所のNさんとばったり会った。彼はジネット・ヌヴー協会を主宰している。蓄音機に取りつかれて60年近く、それ一筋でご活躍。夜市で蓄音機やるのでフランク永井やろうよ、とのお声。
時間の都合ができそうなので「有楽町で逢いましょう」「東京午前三時」「羽田発7時50分」を持って現場へ。当日は国分寺で根をおろしてご活躍の芸術家、手作り、陶芸、オリジナルのさまざまな作品を創作しておられる方々と活動家の企画のお祭りのような催し。
アンティーク・アベニューという粋なスペースで地元で活躍する人々とその支援者で熱気むんむん。中心に蓄音機ととバイオリンコーナーがあり、構造的に音響が抜群の場所。蓄音機を回すのはNさん。バイオリンはプロの演奏家Xさん。
催し開始の主催者のご挨拶。すでに相当の人の群れ。演奏も始められた。NさんはSP盤を恐ろしく多数所有しているが、会場には全部は持ってこれないので当日の催しの時間に合わせて、数十枚を用意する。会場の趣旨や雰囲気や来場される人々に合わせて楽曲が決まる。
1920年代に製造された愛用のビクトローラ蓄音機が今日も大活躍だ。楽曲や盤の状態で何種類かの針を使い分ける。
「有楽町で逢いましょう」をかけてみる。フランク永井の歌がよみがえる。60年前の声が流れる。蓄音機は人間の声を忠実に再現するという点で、これ以上のものがないといわれている。当時の盤への録音は演奏と同時で原板への直の音の転写というのが多かったようだ。
会場には見たり飲んだり観賞したり、語り合ったりとそれぞれの目的で来ていて、騒音もすごい。だが、電気を使わない蓄音機の音はそうしたノイズをものともせずに、大きくとおる。若い人も多く、実際の蓄音機演奏ははじめてという方も多く、そのパワーに皆驚く。
来ていた方がたでフランク永井を聴いた方がたはどう受けたかは分からないが、場にあっていたと自画自賛する。選曲もあっていたのではないかと。
ここ国分寺は名の通り古いのだが、町らしい開発はそう古いわけではないようだ。フランク永井時代の国分寺駅という写真があったのだが、これを見ると駅の周囲はガラガラ。丸井が駅ビルのようになり、今年ツインタワー(マンション+複合施設)が完成して、ほとんど都会みたいになった。
オリンピックの年、1964年に市になった。手元に、地元のお祭りのときに何気なく入手した、市政を記念して作られた市のレコードがある。「国分寺の歌」当時よく聴いた芹洋子と多摩少年少女合唱団が歌っている。もう一枚は「東京五輪音頭」の三波春夫の歌唱による「国分寺音頭」だ。
盆踊りなどで踊ったのであろう。振りの絵付きだ。
筆者は国分寺に来たのはまだ20年ほど前だが、その名が記憶になるのは「三億円事件」だ。散歩コースに府中刑務所があり、その塀を見ながら、ここでその事件があったのかと思った。昭和にぬぐい切れぬ印象を残した事件だったが、それももう若い世代にはほとんど知らない出来事になっているだろう。
ログインしてコメントを確認・投稿する