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2017年08月19日15:40

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軍歌とか戦時歌謡、歌わされた歌手たち。慰問活動にも協力させられた歌手たち

 テレビでもラジオでも「戦時歌謡」が取り上げられた。
 フランク永井もいわゆるリバイバル関係曲の収録で、いくつか戦中の曲と戦後の関係曲を歌った。当時のオムニバスLPの何枚かに挿入されている。
 最終的?には、1975(S50)年のLP10枚組フランク永井大全集の1枚に収められた。第7巻「戦友/戦時歌謡を唄う」として、下記の12曲を残している。
  「戦友」「あゝわが戦友」「戦友の遺骨を抱いて」「婦人従軍歌」
  「麦と兵隊」「同期の桜」「明日はお立ちか」「九段の母」
  「ラバウル小唄」「とけろ港よ」「帰還の日まで」「異国の丘」
 ほとんどが、戦友の死や兵士の憂い、家族の悲しみを歌ったものだ。フランク永井のイメージや声質からあまり勇ましい歌は残していない。
 別項で「新発見」として紹介した「影を慕いて」「人生の並木路」も悲しみをテーマにしたもの。いずれも、戦時歌謡が残した名曲として現在も人気がある。
 フランク永井のレコードを再収集している中で、他にもビクターから「戦時歌謡のすべて」(1976:SJX-8507)、ビクター歌手による「軍歌」などがある。
 ところで「戦時歌謡」とはいったい何なんだろう。どんな思いがそこにこめられ、聴く人はどうこころで受け止めているのだろう。

 8月15日は「終戦の日」。敗戦の日とも言われる。明治維新以来、朝鮮出兵、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦と続いた。開国は戦争に関与するためではなかったはずなのに。その戦争が終わった日だ。
 暑い夏がくるとこの戦争を思い起こす季節が来る。日本が敗北を認める直前には、東京大空襲をはじめ日本全土に焼夷弾が投下され空爆された。とどめは広島と長崎に投下された核爆弾だ。全国民が戦争に動員された。竹やりと銃剣を模した木剣を使った本土決戦に向けた訓練がなされた。
 これを理由に日本人は全員が「民間人ではない」とされ、これでもか、これでもか、と日本人である限り全員が殺戮対象の「敵」とされて、終局でのこの悲惨な事態がふりかかったのだ。
 この季節がくると、NHKはじめテレビでも新聞でもいくつもの「戦争」をとりあげた番組や記事がでる。いやがおうでも目をおおうような戦争の実態が知らされる。筆者もいくつか観たが、正直、こころが辛くなる。
 当時において国民は同じような心持だったのだろうか、と思いをめぐらす。戦争が「日本人の生命と財産を守るため」にやむえず、と言われて全国民総決起に動員されたようだが、結果はまったく逆だったのではないだろうか。夫、父、兄弟の多くの命が奪われ、家屋が焼かれ、すべてが理不尽な状態に投げ込まれた。
 日本の「敵」であった国々の人びとも同様な目にあわされた。これらを思うと、現天皇が戦中にトップに掲げられて行われた戦争を悔いて、被災地を訪れこうべをたれ、将来再びトップに掲げられて利用されるような戦争が起こってはならないと願うのは当然と思える。テレビや新聞を素直に見るならば、いかなる理由があろうとも戦争だけは起こしてはならない、と思うのを否定するのはありようがない。
 人びとの気持ちをいやし、こころを喜ばすことを職業とする歌手は、いつの時代でも、気持ちは戦争に反対であったはずだ。ベトナム戦争のときには世界中で歌手たちは声をだした。その代表なのかボブ・ディランにはノーベル賞まで。日本でもフォーク・ブームが沸き上がったが、反戦も旗印のひとつだった。

 夏になると組まれる歌の特別番組となると、その立場がきわめてぼやけているのが気になる。歌番組は政治とは無関係ということがそうさせているようだ。歌番組に政治を持ち込んではいけないと。また、視聴者には「戦争に反対」の立場の人だけではない、とか、戦中の歌にも素晴らしい芸術性の高いのがあったし、それを否定してはいけないとかいう意見もあり、混乱する。
 だが、それはご都合主義でしかない。戦中は歌手でも軍歌を歌うことが強制されたし、戦地に慰問にいくことを事実上「強制」され拒否できなかった。つまり、歌うことが決して「政治とは無関係」などではなかった。いやでも戦争に協力させられたのだ。
 作詞家、作曲家、歌手たちはお上の命令に対して「はいはい」といいながらも、知恵を出してさまざまな抵抗をこころみている。
 お上は「戦志高揚」を指示する。だが「そうだね」といいつつも、兵士の心情を巧みに歌にする。母や家族の思いを忍び込ます。「戦志高揚」ではなく、人間としての素朴な愛、気づかい、なぐさみ、望郷を表現する。
 歌手はみごとに、あわれ、友情を歌唱で訴える。それが、戦場の兵士も気持ちをがっちりとつかむ。だから、戦地慰問にいっても、そうした歌が求められ、大喝采され、皆が涙で歓迎する。送り出した本土の家族も同じだ。
 当時のことをつづった淡谷のり子のことばなどが証明する。
 もちろん、勇ましいマーチ、華々しい戦果、決死の行動を歌った歌も作られた。ささきいさおのような張りのある力強い声が「宇宙戦艦ヤマト」にあうように、勇ましい軍歌にあう歌手は好まれてそうした歌を歌わされた。戦後鶴田浩二の歌唱があっていたことから「特攻隊」の歌をよく歌わされた。不幸なことだが伊藤久雄もそうかもしれない。
 当時に全兵士に勇気を与えるすぐれた曲や歌を作った作曲家もいる。これらの方がたは、結果的に戦争に協力したことになって、戦後深く悔んだりした。戦後、反省をこめて、逆に反戦的な優れた曲をつくることに尽くした人もいる。
 「利益」という縛りから離れられないレコード会社も「音楽を動員せよ」とお上から協力を求められ、戦意鼓舞のレコードを作った。歌手に歌を強いた。苦悩が強いられ、結果多くの戦中・戦後の関連曲ができ、現在の財産となっている。負の遺産かも知れないが、そうした曲をいま聴くことで、苦い同じ道を歩まないために、未来の平和のための糧(かて)となるならいいことである。
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