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2017年07月28日17:24

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追悼!平尾昌晃。多くのヒット曲を世に送った歌謡界の重鎮がまた逝去

 平尾昌晃(1937年〜2017)が亡くなられた。大変残念である。心からのご冥福をお祈りしたい。
 歌謡界で平尾を知らない人はいないだろう。フランク永井にもオリジナル曲をいくつも用意した。カバーも含めて9曲歌っている。彼の歌手としての方向性はほとんど一本といえたが、作曲の方向については全方面に光を放った。
 平尾昌晃を初めて知ったのは中学生の頃ではなかったろうか。文化祭のような場で一つ下の学年の女子が舞台で「星は何でも知っている」を披露した。これがその時代としては妙に新鮮だった。歌が上手かった。弘田三枝子とか青山ミチのようなパンチがあって、聴いている先生・生徒をすっかり黙らせたのを覚えている。
 その歌が平尾の歌だと知って、その後にでた「ミヨちゃん」とか皆マネしたものだ。彼の甘いマスクも田舎の若者には妙に都会を感じさせた。
 彼は1962年にフランク永井の「霧子のタンゴ」B面で「哀愁のバイパス道路」を歌っている。「霧子のタンゴ」吉田正作詞作曲によるもので、フランク永井は恩師が求めた以上の歌唱をして、代表曲のひとつになったものだ。
 当時、平尾はすでにロカビリー歌手として名を馳せていた。だが、この世界での自分の立ち位置に納得せずにいた。すでにその世界で帝王に上り詰めていた吉田正の慧眼の鋭さに尊敬を頂いていた平尾が、吉田を訪れて弟子入りをした。「おもいで」(後述)の水島哲の作詞に、吉田正が作曲・編曲をして平尾が歌ったもの。
 平尾が歌手として自らをどうイメージしていたかが想像できる歌唱だ。このひと時期はロカビリーの波も過ぎ去っていた。いろいろな歌を作っては歌ったりしたが、日が当たらない。
 雲が立ち込めていたようなときに、北海道のラジオ局のファンの間で、平尾が歌った「おもいで」が評判になる。リクエストのトップになった。平尾自身はこのチャンスに再度歌手としてお呼びがかかるかと思っていた。「おもいで」は再プレスされてじわっと広がりも見せた。お呼びはきたのだが、この歌を新人の布施明に歌わせたいと言われてショックを受けたと平尾自身が話している。
 だが、歌手よりも作曲の方のセンスがあるといわれて、力を注ぐ方向を見出す。ちょうど貴島正一の歌手名で歌いながらも「君は作曲家の才能がある」という指摘で、ビクターからキングに移り『上海帰りのリル』『お富さん』『島のブルース』と作曲家としての名をあげていった渡久地政信に似たエピソードだ。
 実際に平尾は気持ちを作曲家に転じて、布施と組み立て続けにヒットを出す。「おもいで」もそうだが「霧の摩周湖」「恋」「愛は不死鳥」「渚のセニョリーナ」と。それから担当して大スターになっていった歌手は五木ひろし(「よこはま・たそがれ」)をはじめ数え上げられないほどだ。
 アニメでささきいさおに「銀河鉄道999」。時代劇ドラマ「必殺仕事人」など必殺シリーズを含めてその分野の広がりもすごいものを残している。日本の戦後の歌謡史に残る財産を残した。

 フランク永井が平尾昌晃の作曲した歌を残している。
  おもいで:(水島哲作詞)カバー 1967:SJV-256
  よこはま・たそがれ:カバー 1973:CD4B-5051
  愛のさだめ:カバー 1973:SJX-133
  夕映えの別れ:カバー 1973:SJX-133
  夢二恋歌:(西沢爽作詞)1976:SV-2524B
  二杯目のお酒:カバー 1977:SJX-20005
  二人でお酒を:カバー 1978:SJX-20046
  ある関係:(吉田旺作詞) 松尾和子と1981:SJX-30119
  ヨコハマ・ミッドナイト:(吉田旺作詞) 松尾和子と1981:SJX-30119

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