昨年の番組だがちょっと取り上げてみたい。12月18日に放送されたもので、改めて録画していたのを観てみた。
この番組は落ち着いたナビゲーター國村隼のかたりと、丁寧な紹介で人気だ。このブログでも何度か紹介している。今回は、昭和歌謡全盛時代を飾った代表的な二人の作曲家ということで、フランク永井の恩師吉田正と、遠藤実に焦点を当てている。
二時間の特別企画ということだが、二人の作曲家が出せば大ヒットというのはどのような理由があるのか、どのような時代背景があったのか、どのような動機があのようなユニークな曲を生み出したのかということで、二人の作曲作品だけでなく昭和歌謡の時代を描いている。
服部良一や古賀政男が日本の歌謡界を切り開いていった。それを引き継ぐ二人ということで多くのその分野の作詞作曲かの代表ということで紹介されている。
十分に見ごたえがある番組であった。
何度も紹介されていることには違いないが、吉田正は招集されて戦争で大陸に赴き戦闘、病気、シベリア抑留を体験する。多くの友の戦死や哀れを心に刻みつつ、日本に帰還すると「異国の丘」をきっかけにビクターの専属作詞家になる。
後に都会派ムード歌謡という分野を切り開いたといわれるが、もちろんそれは結果であって、そうしたくくりでは表現しきれない様々な努力と挑戦の連続がある。そのあたりが自伝、同期の証言などの記録から紹介されていく。
吉田はシベリア抑留の体験の詳細を語ることはほとんどなかったが、その思いを歌に全力でぶるける。「寒い朝」に結実していると筆者は思う。
吉田正を語るときにフランク永井は欠かせない。この番組では歌う映像は極端に少ないのだが、昨年にはじめて紹介されたスポニチクリエイツの「有楽町で逢いましょう」、映像無しで「東京ナイト・クラブ」が歌われた。
遠藤実も同時代に大活躍した歌手。ビクター専属の吉田とは互いの尊敬を背景に激しく競い合っていい曲を作り上げてきた。
遠藤の経験した貧困は有名だが、それは当時多くの庶民の実情そのものであったといっていい。そこから庶民がもつささやかな思い、刺激、望み、あこがれを人一倍に受け止める。素朴な感覚と感情のなかにある美をえぐりだして表現している。だから、歌の身近さ、歌いやすさは、後世に残る作品をつくりだした。
島倉千代子の「からたち日記」、千昌夫の「北国の春」、舟木一夫の「高校三年生」などいずれも魅力にあふれている。
フランク永井が全国的に名を知られる曲になった「有楽町で逢いましょう」。これは恩師吉田正が、それまでの苦悩と努力を結晶して生み出したものだ。作詞家であり盟友である佐伯孝夫のアイデアとひらめきがきっかけで生まれた。
その提案にまっこうから応えたというところに吉田正のセンスが光る。そして、現役コメンテーターとして登場した作曲家平尾昌晃が語っている。「メロディは簡単につくれるけど、イントロを作るのはメロディの何倍も難しい。イントロから覚えられる曲はなかなかない」と、教えられたが、その典型的な曲が「有楽町で逢いましょう」だと絶賛する。
私も東京に山形の田舎から出てきたときに、当時の職場の同僚がこんな曲知っているか、と聞かせてくれたのがこのイントロだ。もちろん知っていたが、イントロが強くひきつけ、そのような表現をするほど印象的であったことを改めて知った。 「有楽町で逢いましょう」のイントロが雨が屋根に当たる音から閃いて、これだと思ってできたということを本人が語っている。そこも含めて最初のモノラルSP盤の編曲を担当したのは、佐野鋤(後に本名の佐野正美に変名した)だ。
1962年ステレオ化の波を受けてヒット曲のステレオでの吹き込みなおしをしているが、その際に吉田正がみずから編曲をし直している。佐野のピアノ音で始まるイントロがバイオリン音とのかぶせになっている。いずれも印象的だ。オリジナルとして紹介されるときは佐野版が多い。
後のCD化の波ではステレオ版が多く出た。が、モノラルであってもオリジナルをということが多くなり、使い分けられているようだ。
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