謹賀新年 フランク永井あれこれ〜文四郎日記、今年もよろしくお願いします
フランク永井とハイレゾ音源について触れてみたい。ハイレゾ音源については、暮れに一般新聞でも紙面をおおきくさいて記されていたのだが、いっぱんにこのテーマはどれほど理解が広まっているのだろうか。Webのサイトを開いたときに掲載される広告にも頻繁に見られるようになったし、電化店のオーディオ・コーナーに寄ると、大変おおきなエリアを占めてハイレゾ関連機器の展示をしている。高価な商品ばかりだ。
昨年10月にフランク永井の「ザ・カバーズ」がCD4枚発売された。それから間もない12月には、この楽曲がビクター・スタジオHD-Musicからハイレゾ音源として追加されて発売されている。
フランク永井の曲のハイレゾは、実はハイレゾの研究者が相当以前から取り扱いをしている。著者が耳にしたのは覚えていないぐらい前で、ハイレゾの商品が発売される以前である。1981年に発売されたLP「オール・オブ・ミー〜フランク永井スタンダードを歌う」(SJX-30051)である。
これは本格的なジャズ・スタンダードのカバー・アルバムで、その世界の第一人者であるジョージ川口や鈴木章治、前田憲男ら多数が臨時のユニットを作って総力の完成をみたものだ。それだけに、音については当時の技術者もの含めて妥協のない作品になったものと思える。
フランク永井のハイレゾ音源がHD-Musicルートで正式に発売されたのはまだ最近ではあるが、当然この「オール・オブ・ミー」は最初のリリースに含まれて発売されている。その後イタリアのスタジオで収録された「君恋し」のニ二・ロッソとの共演盤(1973:SJX-133)が追加され、それに、今回「ザ・カバーズ」が加わったことになる。
フランク永井とハイレゾ音源との関係はこのように大変に深いわけではあるのだが、採用されている曲目の多くがカバー系というのは、何かの皮肉だろうか。
さて、このハイレゾについてだが、昨年とか今年とかがハイレゾ元年にでもしようとガンガン市場を広げようとしてる、音楽業界の熱が感じられる。しかし何か消費者というかユーザーのニーズとの隔離を感じるのだが、それは筆者だけのものだろうか。もちろん先々は音楽の楽しみ方の多様化からハイレゾが伸びその地位を確実なものにしていくのは流れである。
音楽業界をハイレゾに駆り立てる背景には、現在までのCDを中心とした販売が下降線にあり、ダウンロードやほかの方法を通じたものでの埋め合わせを含めても、未来を見通せる「伸び」への期待が持てなくなっている点だ。業界のことを端からながめているだけで内部を知らないものが、無責任で触れるなら、一つは音楽が生活に占めるものが多様化の要素に埋もれてしまっている点があげられる。
また音楽そのものが純粋さを失いつつあるのではないかという危惧もある。メディアがビジュアル中心になり、奇抜さとか、過激な振りとか、さらには視聴者を単に演者の振る舞いの一道具にしてしまうような錯誤がるように見受けられる。特に後者の例振らせたりしている。演者のパフォーマンスの部品にされている例だ。このように、静かに楽しもうと思うなら来るな、来たら演出者のいうことに従え、という倒錯した姿勢が音楽をダメにしていないかということである。
そうしてしぼむ音楽を、今度は間違いなく高価な器具を売ってカバーしようというように見えるのが現在のハイレゾ・ブームの演出ではないのだろうか。
もちろん、ハイレゾ音源の楽しみ自身はすばらしいことなので、もっと安価に気楽に楽しめるようにどんどん研究も努力もすすめてほしいと希望している。
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