高校時代から交友が続くあるマイミク同級生男性と私とは誕生日が一週間と違わず、同じ大阪市大病院でこの世に生を受け、なんと双方の母親の名前が同じなのであります(あえていうと同じ読みながら向こうの母親は漢字オンリー、こちらはカタカナ+漢字)。だからひょっとしたらオレらは取り違えられているかもしれないなと、これまで何度言い合ったことか。
なにせ昭和30年代半ばの大阪市大病院、半世紀後不覚にも20日間お世話になるあの超近代的システマティックなそれとはまったくの別モン。どういうカタチで新生児を識別し、見守っていたのかわからないけれど、少なくともいまよりは原始的というか人間の力に頼る部分が大きかったはず、何が起きてもおかしくない状況だったにちがいありません。
もし私が彼の人生をなぞっていると考えたら、あのときあんなことがあって、あんなことばかりが続いて、いまはあそこに住んで、あんなことしてるわけだ…。すいませんわかるひとにしかわからないこと書いて。共通の友人のみなさんは、これは実に面白い仮説だとご理解いただけるでしょう。まあそれほど彼の人生は私なんかよりずっと起伏に富んでいるのです。
ここから最近実際に起きた事件や関連する映画に話を結びつけて、何かを論じるようなことは「天声人語」あたりにまかせておくとして、ただ単に私の身辺にもこういう可能性がありましたというだけの話。まあ肝心の彼はこのところすっかりFacebookに軸足を移し、mixiのほうはごぶさたみたいなので、これを読んではいないだろうけど。
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