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2012年08月15日11:10

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hayami家、67年前のきょう

きのうは叔父宅にて親戚一同が集まる。一同とはいうものの両親・叔父夫婦・叔母夫婦そして私の7人だけだったから、平均年齢80歳の6人に若輩者の私がひとり混ざる、みたいな構図となった。前半戦は手術入院ばなしで私の独壇場となり、もう何度しゃべったかわからないネタを“年配者向けバージョン”にして人生の大先輩達にくりひろげた。

私が終始黙って聞く側にまわったのは、その場の話題が“67年前、昭和20年の8月14日から15日にかけて皆どうすごしていたか”みたいな話になったときからだ。終戦時には小中高生だった6人。疎開先ですごした経験が大半だったけど、まさに6人6様の記憶だった。そのなかでも特にウチの父親の話が興味深かった。

当時住んでいた(私自身も生まれ育った)針中野周辺もそろそろ空襲の危機にある(7月26日には近くの田辺に“模擬原爆”が落とされている)から避難すべきということで、大八車に最低限必要な家財道具一式を積み込んで、14日の夕刻から疎開先として定めた、hayami家としては縁もゆかりもない四条畷めざして家族一同歩いたというのだ。

どういう経緯から四条畷が選ばれたかは父親にも記憶はない。とにかく当時のhayami家はそこを目指して真夜中も大八車を引き続けた。どの経路を通ったのかわからないが数百人が犠牲となった8月14日の京橋大空襲はうまく逃れている。15日の正午に昭和天皇からお言葉があったことを知るのはその日の夕刻疎開先にたどり着いたあとだ。

この話、まったく初めて聞かされたわけではないと思うのだけど、人生の大先輩6名に囲まれつつこういう経験に耳をかたむけるとなると前半戦の勢いはどこへやら、まったく神妙になってしまった私なのであった。とはいえ、以前話題にした母親が疎開先で出会った“美少女双子姉妹”の真相もこのときとばかり訊いたので、その話はまた明日。
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