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――女子にファーストキスを奪われた。スーパーのトイレで。思い出すたび、涙ぐむ。情けない。どうして抵抗しなかったんだ。畜生!なんなんだあの女、「チンコ握る」とか頭おかしいんじゃないか?
「牧野君」
「ああ、篠宮さん」
「何考えてたの」
「いや、詩を――」
「うそ、そんな顔じゃなかったよ」
「どんな顔してた?」
「飼ってた犬が死んじゃったみたいな顔」
――それ当たってるかもしれない。
「昼休憩終わっちゃうよ」
「うん」
文芸サークルの部室、篠宮さんは恋愛小説を執筆中だ。眼鏡で黒髪でお淑やかで、文学を愛する少女。
「書けたよ」
「うわ、見せて」
もしも無人島に一つだけ言葉を持っていけるとしたら僕はきっと――
君の名前を選ぶ
「すごい……素敵」
「そ、そうかな?なんか恥ずかしいな」
「本当にすごいよ牧野君、才能あるよ」
「いや、そんな。篠宮さんの方が――完成しそう?」
「あ、これ?まだちょっと掛かりそう」
「タイトルなんだっけ?」
「『告白』」
「ちょっとだけ読ませてよ」
「だめ!絶対にだめ!」
「そんなに、拒絶しなくても……」
「完成したら読ませてあげる。牧野君に読んでほしい。っていうか牧野君にしか読んでほしくない」
「そう、じゃあ楽しみにしてるよ」
篠宮さんは、大きなため息を吐いた。
「ちょっとお手洗いに行ってくるね」
「うん」
――さて、今のうちに下駄箱用の詩を書かなきゃいけない。今書いたのとは真逆のテイスト。悪意と殺意とガキみたいな無知と思い込みで、世界を呪う詩。ああ、気持ちの切り替えが大変だ。
爪の折れたシマネキが砂浜
透明な手を振っている
波を呼んでいる
地表に落ちたすべての涙を
洗い流すほどの波を
――いいだろうかこれで?こんなんで吉田さんが納得するだろうか?いや、もっと刺激的で破壊的でアヴァンギャルドじゃないと――でないとまたトイレに連れ込まれてしまう。
目を閉じると世界が消える
目を開けると世界はそこにあるでもきっと
目を開けたときに私の暗闇が現実になる――そんな瞼が
ドラえもんのポケットに入っている
「……牧野君、何その詩」
「うわっ篠宮さん、ち、違うんだこれはちょっとふざけて書いてみただけで――」
「だ、だよね。びっくりした。でも遊びでも止めてた方がいいよ。牧野君には似合わない」
「わ、わかってるよ」
「牧野君はもっと美して優しい詩を書くべきよ。その才能があるんだもの」
「うん、そうだね。じゃあこれはこうしよう」
くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り込んだ。
うなじに殺気を感じる。ゆっくりと振り向く。
窓の外に、吉田さんがいる。こっちを見て口角を上げている――あの表情は何だ?笑ってるのか?怒ってるのか?
後でゴミ箱から紙を回収しなければ。下駄箱に入れるために。
――なんでこんな『アラビアンナイト』みたいなことになってしまったんだろう?
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