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2020年10月28日23:09

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ありがとう!横浜文化体育館(50)

「社会人プロレス」をコンセプトに93年8月21日、桐生市民体育館で旗揚げされた谷津嘉章のSPWF。SWS編、WAR編でも書きましたが、SWSは活動休止後、天龍派の「レボリューション」のメンバーを中心にしたWARとジョージ高野、高野俊二(拳磁)、ケンドー・ナガサキ、谷津の「パライストラ」&「道場・激」連合派が中心となったNOWにに別れました。

しかし、谷津、新日本プロレス、ジャパンプロレス、全日本プロレス、SWSと谷津と行動を共にしてきた仲野信市はNOWには参戦せず、G高野、高野俊の高野兄弟は一度はNOW旗揚げメンバーに名を連ねましたが92年8月9日、後楽園ホールでのプレ旗揚げ興行を前にNOWを離脱。93年2月13日、東海市民体育館で旗揚げしたSWS第3の後継団体PWC(プロレスリング・クルセーダーズ)に参加しました。

谷津はSWS崩壊後は群馬県で中古自動車のディーラーの仕事を始めた傍ら、「副業をしながらのプロレス」の構築を目指してSPWFを設立。プロ部門とアマチュア部門に分かれて練習生を募集。仲野がナンバー2兼コーチとして指導にあたっています。当時の谷津の拠点が群馬県だった為に、埼玉北部、群馬、栃木といった北関東地区での興行が主体でした。

活動休止したW☆INGからも茂木正淑、戸井マサル、島田宏、2代目覆面太郎(篠真一)らデスマッチ路線ではない選手が移籍、また生え抜きとして丸山昭一(神風、KAMIKAZE)、ホッパーキング(仮面シューター・スーパーライダー)がデビュー。

94年には新日本プロレスが「平成維震軍vs昭和維新軍」の抗争を平成維震軍興行で展開し、昭和維新軍のメンバーとして谷津が90年2月10日、東京ドーム大会以来4年ぶり、全日本プロレスからのゲスト参戦のドーム大会を除外すれば84年の大量離脱前以来10年ぶりに新日本プロレスのリングに登場、昭和維新軍として長州力らと共闘、この年のG1クライマックス、SGタッグ・リーグ戦に出場。

この94年のはSGタッグ・リーグ戦は前半がジュニアのタッグ・リーグ戦、後半がヘビーのタッグ・リーグ戦でしたが、ジュニアのタッグ・リーグ戦にSPWFから茂木と『神風』がチームを組んで参加。新日本とSPWFの間は交流関係がありました。また4月16日、新日本プロレスの両国国技館で行われた「SUPER J−CUP 1st STAGE」には茂木が単独参戦しています。

SPWF唯一の横浜文化体育館大会は94年12月17日、ワンナイト特別興行「SPWFラストイヤー・ジュニアヘビー・バトル・トーナメント」として行われています。(観衆2,320人発表)

トーナメントは全8選手参加でワンナイトトーナメントとして開催され、1回戦第1試合は新日本プロレスから参戦したエル・サムライがエキサイティング吉田を8分16秒、サムライボムから体固めで破りました。第2試合の『神風』と岡野隆史(IWAジャパン)は6分48秒、ウラカン・ラナを切り返した岡野がエビ固めで逆転のフォール勝ち。

第3試合、戸井vsデンジャラス内田は6分22秒、飛び付き式回転十字固めで戸井の勝利。第4試合の茂木と藤田豊成(闘龍、ドラゴン・ウィンガー、怪獣ゼータマンドラ、マグニチュード岸和田)の一戦は4分44秒、パワーボムからのエビ固めで茂木のフォール勝ちとなりました。

続けて準決勝が行われ、準決勝第1試合、Eサムライと岡野の一戦は8分47秒、サムライボムからの片エビ固めでサムライが完勝。準決勝第2試合、茂木と戸井の対戦、6分49秒、茂木が戸井の机の上へのダイビング・ニードロップを自爆させての体固めで勝ち決勝進出。

決勝はSPWFの茂木と新日本のEサムライのホスト団体と招聘団体のエース同士の対戦となりましたが新日ジュニアでも大柄で「ジュニアの巨人」と言われ、獣神サンダー・ライガー初め、ワイルド・ペガサス(クリス・ベノワ)、2代目ブラック・タイガー(エディ・ゲレロ)らとハードな闘いを互角に展開しているEサムライの実力の前には茂木は歯が立たず、13分21秒、Eサムライがドラゴン・スープレックスホールド(飛龍原爆固め)で完勝し、優勝を飾りました。

メインイベントでは谷津と高木功の対戦、全日本プロレス、SWSと行動を共にしてきた両者が激突、18分10秒、谷津がジャーマン・スープレックスホールドで谷津が勝ちエースとしての面目を保ちました。

翌95年にはSPWFのフロントだった高田龍が谷津と訣別し新団体「レックス夢ファクトリー」を旗揚げ。仲野を初め茂木、『神風』、死神、三浦博文(極悪海坊主)、覆面太郎、怨霊、藤崎忠俊(富豪2夢路)ら移籍組、生え抜き選手が多数移籍、新日本プロレスも夢ファクとの提携に鞍替え。

その後は千葉県長生郡一宮町に道場を移し97年には現役女子高生レスラー、千春(大野千春)をデビューさせましたが妊娠、退団となり起死回生には至らず。00年、谷津はPRIDEに出場しましたがゲーリー・グッドリッジに敗退。03年、長州らがWJを旗揚げした時に谷津は当時の所属だった高智政光、宇和野貴史らと共にWJ入りし活動休止となりました。

10年11月30日、新宿FACEで谷津が引退試合を行い、(維新力と組んで藤波辰爾&初代タイガーマスク組に敗れる)SPWFは完全に消滅しています。
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