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2017年11月17日14:44

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おの

 太い幹に一撃をぶち込もうと振り上げた男の手から、するり斧は逃げ、寝息忘れ眠入っていた泉に盛大な飛沫を背丈までも立てると、瞬く間沈んでいった。
「嗚呼、しまった」
 男、泉を覗くが、青思いのほか濃く、水面下は一寸先も窺い知れない。途方に暮れていると、ボコブクと水面が沸き立ち、何やら人影がせり上がって来る。
 男、驚愕し、へたり込む。人影、仄かに光放つ白の衣服を纏う立ち姿、人外の妖か、はたまた神聖の類か、計りかねじっと取り込まれたように見入っていると、木漏れの光が一筋差し、人影の輪郭をはっきりと顕在させる。
 見ると両手に斧、ただの斧ではない。右の手には金の斧、左手には銀の斧、絢爛たる輝きを放ちて、森の闇を恐れさせている。木の枝で何事かと見守っていたリスがすっと陰に逃げた。 男、言葉を探すが見つからない。見かねたのか人影がおずおずと口を開く。「お前の落としたのは、どの斧だ」
 男、金の斧と銀の斧を交互に見比べ、「どちらでもありません」と応えようと、人影の顔に目を向ければ、人影は白髪の老人。噂に聞こえし泉の神とは、この人物かと平に改まって、背筋伸ばし、口を開こうとした刹那、はげ上がった頭頂部に、見覚えのある斧がぶっ刺さっているのに気付く。
「重ねて聞く、お前の落としたのはどの斧じゃ」
 男、正直に「その刺さってるやつです」神、複雑に顔を歪め、「正直者じゃ、確かに正直者じゃ。正直者にはこの金と銀の斧をやる。確かにそういう風に決めてやったが、なんかしっくりこん」
「え?」
「いや、見てみぃやこれ、頭に思いっきり刺さっとろうが?まず最初に『すいません』言うんが筋じゃろうが?」
「いや、突然のことに驚いてしまって」
「言い訳すなや!オマァ、ワシが神じゃけぇこれ痛ぁない思うとるんじゃろうが?痛いんぞこれ」
「そうなんですか?」
「そうなんですかじゃなかろうが!どうすんならこれ」
「いやもう金の斧とか実用性無さそうですし、要りませんから、その刺さってるやつだけ返してもらえませんか?今日中に木を切って納品しないと取引先に迷惑が掛かりますんで」
「オマァ、自分の都合ばっかりじゃのう。なんでオマァみたいなんが正直者なんじゃ、納得いかんわぁ。納得いかん。じゃけどワシも泉の神としてのプライドがあるけぇの、この金の斧と銀の斧、オマァにやるわぁ」
「あ、そうですか。で、その刺さってるやつも返してもらえるでいいんですよね?」
 神、口をぱくぱくと開き何か言おうとしたが、呆れ果てたという顔で、「血ぃ失い過ぎた。見てみぃ、青い泉にワシの赤い血が混ざって赤紫になっとるわ……おい、笑うな。もう怒る気力もなぁ。ほれ、抜け」
 神が男に頭を差し出す。「いいんですか?」「いいに決まっとる。一息にいけ」
「はい、じゃあいきます」
「一息にいけよ…………ちょ、いや、それじゃ無理じゃって、痛っ、いや肩に足掛けてええけぇもっと腰入れて………いゃ、変に遠慮するなや!ぐっと力いっぱいいかんとこれ絶対抜けんど!」
「いや、無理ですこれ。もっと力抜いて貰えませんか?なんか締まってる感じがするんで」
「はぁ?力なんか入れとらんし」
「分かりますけど、もうちょっとリラックスしてくださいよ」
「オマァ、すげぇのぉ、この状況でリラックスせぇってか」
「ちょっと手元が狂うんで話しかけないでください」
 

 ぷち

 「もうええ、ええ加減にせぇ!もう辞めじゃ、何時まで肩踏んどるんじゃどけやぁ!もうオマァには金のも銀のもこの刺さっとるのもやらん」
「いや、金と銀のは『やらん』でいいですけど、刺さってるのは、もとはと言えば私の物ですから……」
「うるさぁわ!刺さった時点で、所有権移っとるんじゃ!もう二度と来んな!」
 吐き捨てるように言うと神は、ぶくぶくと血の混じった飛沫を上げながら泉に消えていった。
「嗚呼、納期が……」

 それ以来男の村では、泉の側を通ると、両手に金と銀の斧を持った老人が現れて、「この額の斧を抜いてみろ!」と叫びながら追いかけてくるという妖怪伝説が語られるようになったそうな。
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