■人生と文学と政治(1)
― 政治的な「立場」 ―
(注:用語のうしろの「
*」印はリンクを示す)
●私は、きわめて「非政治的」人間である。
「非政治的」という意味は、天下・国家を論じたり、国の行く末を
考えたりするタイプではなく、身の回りのこと、家族のこと、
もっといえば、自分自身のことを考えるのに精一杯の人間であり、
ミクロの「じくじくした悩み」はいっぱいあっても、マクロに
モノが見えたり、その問題点を剔抉(てっけつ)できるような
能力もない。
●したがって、「政治的」な領域に積極的な関心はない。
しかし、そんな人間でも「政治的」な場に立たされることがある。
それを身近に知ったのは、大学を卒業する年に「大学紛争」
*が
遅まきながら私たちの大学でも起こり、「大学封鎖」
*があったからだ。
夜中、私の下宿にも誰かが、丘の上に建っていたちっぽけな学舎に
バリケードを築いて、「社青同」
*だか、どこだかのセクト
*が占拠した
との知らせをもってきた。
その数日前から、「占拠」
*の噂は流れていたように思う。一学年で
300名、全学でも1500名にも満たない大学で、「占拠」
*が
起きた。
私はもう寝ていたかもしれない。起こされて下宿から20分位
歩いてバス道を登り、大学まで友人と来たと思う。
もう、本部の建物、喫茶部や食堂あたの入り口は机や椅子で塞がれ
ていて、中に入れなかった。
人も、五、六十人はすでに集まっていたように思う。建物の中に
ヘルメットをかぶった学生が見えた。私たちは二階の教室や
中に立てこもっている人を外から眺めた。
外から眺めている人のなかに、建物の中に立てこもっている連中に、
バリケードを取り除け、 降りて来い、外に出ろ、と叫ぶ人も
いた。「体育会系」
*と後に呼ばれるが、確かに運動部のクラブに
所属する人に、怒って罵声をあびせ、叫んでいる人が多かった。
(「民青」
*と呼ばれる人たちは、このとき、なぜか私たち
*と
同じ側でなく、「体育会系」
*の人たちと一緒になって罵声を
浴びせていた)
私には、何か、遊んでいるような、あるいは、したくもない
「茶番劇」を演じているような感じに、その光景は見えた。
全国でいま巻き起こっている「大学封鎖」
*を私たちの大学でも
流行に乗り遅れまいとして、やっているように見えた。
●そして、夜が明けかけ、空が白み始めると大学に集まってくる
人数が増え、いつの間にか、建物に向かって、封鎖解除を叫ぶ
人たちと、私たちのように、建物を背にして、「封鎖解除」叫ぶ
人たちに対面し、腕と腕を組んで、叫ぶ人たちが建物の中に入ろう
として、中の学生と衝突するのを阻止するためにピケットラインを
張る人たちに分かれた。
(したがって、立てこもる「社青同」
*と、それに反対する
「体育会系」
*・「民青」
*と、両者の間にピケットラインを張る
「ノンセクト」
*・「ノンポリ」
*という、大きく3つのグループに
分かれたことになる。
しかし、反対者に「体育会系」と「民青」が同居するというような
「ねじれ現象」がすでにあったし、また、「ノンセクト」・「ノンポリ」も
当然のこと、政治信条を同一にしているわけではなかった)
そして、これは私たちの大学の、学生の特徴かもしれないが
立てこもった学生も、外でその学生たちに罵声を飛ばす学生も
ともに、大変大人しかった。そして、真ん中でスクラムを組み、
ピケットラインを作った私たち
*も大人しかった。
●そのうちに、大学の職員や、垂水近辺の下宿学生ではない、
一般通学の学生も登校してきた。
当時の学生部長だった伊賀隆
*・教授がハンドマイクをもって
「話せばわかる」みたいなことを、言ったと思う。外にいる連中にも
中にいる連中にも、そう言ったのだと思う。
小さな大学である。ハンドマイクで「伊賀ちゃん」(私たちは
伊賀先生をそう呼んでいた)の声はみんなに聞こえた。
そして、その日のうちにだったか、あるいは、二、三日してから
だったか、バリケード
*は解除され、何もなかったかのように、
(事実、何もかったが)大学はもとに、静かなちっちゃな大学の
普段の状態になった。
もう、よくは覚えていない。書いたことにも記憶間違いがある
かもしれない。
「記憶はよく嘘をつく」は本当である。私は、私自身の文脈で
そのように記憶しているにすぎない。
しかし、逆に言えば、私にとっては、そのようにしか「記憶できない」
ような出来事であったということだ。
●なぜ、いま、こんなことを書き始めたか。
それは、きょう出かけて、摂津本山まで行き、東医院で胃の痛みを
診てもらい、エビラファーマシーで薬をもらい、新甲南市場の
叔父の店に寄り、そして三宮のジュンク堂で「本」をいっぱい
買い、「私は、ほんとうに、何をずーっと考えているのだろう」
と思ったからだ。
買った「本」が多すぎて、せっかく調子がよかった胃が
また痛くなった。
おまけに、新甲南市場から住吉まで歩き、途中、生協の本部前を
とおり、昔のよく知った仲間に出会ったり、コープツーリストに
寄って、まだ残っている三万円の旅行ギフトを使ってしまう
ために、JTBの観光パンフをもらってきたりした。
●妙法寺に着いてからも、コープ横尾でスイカを買い、家にもどった
とき、私はヘトヘトに疲れていた。
「私は何をしているのだろう。何を考えているのか」
自分のことを、とほほほほ・・・、と思いながら、ほんとうに
私は何を考えているのか、そのことを思った。
その思ったことを書こうとしているのだが、まだ、そこまでいかないで
もたもた、している。
●買った「本」は、そのことに関係する。
私が何を考えているか。
荷物があまりに重たかったので、10キロ痩せた自分の体重を
測るための体重計に「本」を乗せてみた。
ちょうど10キロあった。冊数と金額はめんどくさいので
まだ「レシート日記」に貼り付けと記入をしていない。
一冊だけ書いておけば、買った「本」に次のものがある。
・代表編集・鎌田慧
*:
「新日本文学」の60年/七つ森書館
■案内
・
日記/「Home」案内
■参照
・
人生と文学と政治(1)
・
人生と文学と政治(2)
・
人生と文学と政治(3)
・
人生と文学と政治(4)
・
人生と文学と政治(5)
・
人生と文学と政治(6)
・
人生と文学と政治(7)
・
人生と文学と政治(8)
・
人生と文学と政治(9)
・
人生と文学と政治(10)
・
人生と文学と政治(11)
■参考
・
「人生と文学と政治」資料
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