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2018年03月16日09:37

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生誕120年 東郷青児展

福岡で勤務していた時の会社の後輩から先月、

「とてもよかったからぜひ見にいってください!大阪も開催されますよ」

と、東郷青児展のことを教えてもらった。
後輩はグラフィックデザイン、ウェブデザインの仕事をずっとやっているが、大正ロマンの絵画が大好きなのだそうだ。

東郷青児の絵と言えば、なめらかな肌で、ソフトフォーカスのような女性像を思い浮かべる。
長らく、二科展で出品作の人気投票をすれば、いつもトップは東郷青児だったそうだ。
あと、女性関係が華やかで、作家の宇野千代と同棲していたことを思い出す人も多かろう。

言ってみれば、わたしが知っている「東郷青児」はその程度だった。
だが、今回の展覧会で彼の画業を改めてみると、さまざまなスタイルがあったことに気づかされる。
若いころにはもろキュビズムに影響された絵画を描いているが、それは模倣というより、当時の芸術家にとっては「なんて面白い! どうにかして自分もこういう表現でやってみたい!」と創作意欲を掻きたてる、画期的な表現方法に刮目したからだったにちがいない。
だから、その時代の、熱気や探求心が伝わってくるような絵である。

1921年からフランスに7年間留学し、帰国後はシュルリアリストの古賀春江らとともに、「新傾向」と話題になる作品を発表。
わたしは、郷土の画家・古賀春江も大好きなのだが、空中を浮揚するあてどない人物は、まさに古賀春江ワールドと共通する、摩訶不思議な作品世界。

ところで東郷青児の作品を多数所蔵しているのが西新宿の
「損保ジャパン日本興亜ビル」の42階にある美術館。
地方にお住まいの方でも、低層階がぐにゃ~となだらかな弧を描く、独特の形の新宿の高層ビル、といえば思い出すビルではなかろうか。
昔は安田火災ビルって言ってたと思うんだけど、損保業界はやたらと合併が続いて、社名がわけわかんなくなってますもん。
あと、バブル当時50億円だとか60億円だとか喧伝されたゴッホの「ひまわり」を所蔵してることでも知られてる美術館でもある。
で、その美術館の正式名称が「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」。
なぜ東郷青児記念、とうたっているかというと、1930年代から安田火災の前身会社が、東郷青児の二科展出品作を買い上げ、会社のパンフレットの表紙、ひいては顧客に配るカレンダーの絵柄として使って評判を博したという、ながらくの関係があるからなのだ。

モダンでどこかレトロ、美しい美人画は、おおいにウケたのではないかと思われる。
とはいえ「金髪に淡い色の瞳」という、いまなら俗にいうパツキンのおねえちゃんの絵柄
戦時中に描くにはまずかったのではなかろうか?
そういうご時世もあってか、仏画を描いたり、日本風の黒髪の女性を描いたりとしていた期間もあったようだ。

しかしながら今回の展覧会で、わたしがいちばん嬉しかったのは、実のところ、藤田嗣治の絵が見られたことである。
東郷とフジタの交流があったとは知らず、意外な気もしたが、ふたりともフランスで腕を磨き、どちらもピカソと面識があり、共通点も多い。
1936年には、京都・丸者百貨店の大食堂に、フジタと競作で「壁画」を描く仕事に取り組んでいる。
東郷は「山の幸」、フジタは「海の幸」。
絵のタッチもコンセプトもまったく違うふたりの作品が、二つ並んでいたとは、なんとエキサイティングな空間であろう。

今回、その競作が並べられていたが、わたしも初めて見るフジタの作品だ。
この当時のフジタは南米旅行から帰国した後。
メキシコやブラジルで、それまでの「細い輪郭と乳白色の肌の裸婦像」とは異なる、肉感的でダイナミックなタッチの絵画を描き始め、「海の幸」もその延長上にあるような筆致がうかがえる、貴重な作品だと思う。

フジタの絵も堪能できたし、東郷の女性像は、ある意味現実離れしすぎていて、ポーンと突き抜けたような爽快さがある。
また彼はグラフィックデザインにも才能を発揮し、単行本や雑誌の表紙の装丁もずいぶんとたずさわっている。
現在でも、包装やお菓子の箱など、東郷青児デザインを使っているものが数多く、世紀を超えて、身近なところから彼の作品が愛されているのがうかがえる展覧会だった。
(3月14日、あべのハルカス美術館)
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