5/10
パドレイク・マッキンリー監督
イーサン・ホーク ラッセル・クロウ
ジュリア・ジョーンズ オースティン・アメリオ
アヴィ・ナッシュ
大恐慌時代のアメリカ。シングルファーザーのサミュエル(ホーク)は貧困にあえぎ、警察に不審者扱いされた挙げ句、娘を守ろうとして警察官と一悶着を起こし、収監されてしまう。娘と引き離されたサミュエルは、労働キャンプで所長クランシー(クロウ)から、刑期を免除する代わりに森の中を徒歩で金塊を運ぶという仕事を持ちかけられ、危険を承知で引き受けることになる。
ハンフリー・ボガート主演の『黄金』のように、金に目がくらんだ人間たちが疑心暗鬼に陥るサスペンスを期待して観ていると、後悔することになる。
まず、そもそもリュックに詰め込まれた金塊の重さが全く伝わってこない。囚人たちの疲労感もほとんど感じられず、重い金塊を背負って山中を歩いているようには見えない。リュックの紐がもっと肩に食い込み、歩くたびに身体が重さに引きずられるようでなければならない。
撮影当初、俳優たちは自ら重いリュックを要求していたものの、何度か撮影するうちに負担が大きくなり、結局、通常の歩行場面では軽いリュックに戻したという。重量感が必要な場面だけ再び重くしていたそうだが、その結果がこれでは、映画を撮る覚悟が最初から欠如していたと言いたくなる。もちろん実際に重い荷物を背負わせる必要はないが、それならば演出によって重量を感じさせなければならない。何しろ題名が『The Weight』なのだから。
大恐慌時代の貧富の差や、住居を不当に奪われた人々、社会主義運動に関わって収監された人間たちのエピソードも語られる。大恐慌時代を現代の社会情勢になぞらえようという意図が感じられるが、貧富の格差や社会的不公平、社会主義が広がらない現状に対する監督の個人的な思いを持ち込んだところで、それらは映画に全く寄与していない。
社会主義者のシン(ナッシュ)は、運動に関わったことで逮捕された経緯を語る。しかし、彼が金塊を運ぶ危険なミッションに対してどう考え、どう行動するのかはほとんど描かれない。平等主義を信奉する人間が、目の前に莫大な金塊を積まれたとき、果たして自分の信念を貫けるのか。欲望と思想の間で葛藤する姿こそ描くべきなのに、そんな展開は全くなく、文字通り映画の中で寝ていました。
観客が観たいのは監督の主張ではなく、金に対する人間の欲望や裏切り、そして命懸けのミッションが生み出すサスペンスである。しかし、本作はその期待にほとんど応えてくれない。
壊れかけた吊り橋を渡る場面も残念だった。普通なら、今にも切れそうなロープや、荷重に耐えかねて割れる足場のカットを挟み、観客に橋の危うさを実感させるところだろう。ところが、まさかサミュエルを橋の真ん中に立たせ、両岸から金塊を投げ渡すとは思わなかった。監督は『恐怖の報酬』を観たことがあるのだろうか。吊り橋という舞台を用意するだけでは、サスペンスは生まれない。
唯一良かったのは、ネイティブ・アメリカンの女性とサミュエルの交流だろうか。言葉や立場を超えて互いを理解していく描写には、確かに温かみがあった。ただし、それは緊張感に満ちたサスペンスの中で、ひとときの清涼剤として機能してこそ生きるものだ。肝心のサスペンスが希薄では、その効果も半減してしまう。
社会的なメッセージを盛り込むこと自体が悪いわけではない。『黄金』も『恐怖の報酬』も、極限状況に置かれた人間の欲望や弱さを描くことで、結果として強烈な社会批評になっていた。しかし、本作では社会批評もサスペンスも中途半端なまま終わってしまった。
これは残念と言わざるを得ない。
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