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2025年08月23日16:01

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映画「長崎ー閃光の影でー」

1945年夏の長崎。
看護学生のスミ(菊池日菜子)、アツ子(小野花梨)、ミサヲ(川床明日香)の仲良し三人組は、戦争の影響で学校が休校になり、故郷の長崎の街へ。
長崎本線から望む海、丘の上から見下ろす、東洋一の大聖堂・浦上天主堂の威容。
三人にとって、家族と過ごす、つかの間の夏休みのはずだった。

8月9日。
スミは愛野町の祖母のところへ、バスで出かけていた。恋人のマサル(田中偉登)からは、赤紙が来て来週入隊と告げられていた。
カトリック教徒のミサヲは、天主堂へ。
ところが11時2分、太陽のような激しい閃光が長崎の街の頭上で炸裂。原子爆弾が投下されたのだった。

スミは山道を走るバスに乗車中だったため、原爆の直撃は免れた。
茫然自失状態で、長崎へ戻る途中、大村市からの救援医療チームが乗ったトラックが通りがかり、スミは乗せてもらう。

しかし、長崎の街は、一発の原子爆弾で焼き払われ、廃墟のようになっていた。
看護学生の三人は、無事の再会を果たしたものの、看護学生ながら早々に、被災者たちの救護活動に奔走。
ミサヲの父(萩原聖人)はがれきに埋もれて大けが、スミはマサルも父(加藤雅也)も母(有森也実)も奇跡的に無事だったが、アツ子の一家は、黒焦げの死体となっていた。

薬も足りず、看護婦、看護学生、秋山軍医(渡辺大)たちはまさに徒手空拳状態で被災者の治療に当たるが、人々はどんどん死んで行く。
軍医も、救護所を取り仕切る小野(利重剛)も、やりきれない思いでいっぱいだ。

浦上では、心のよりどころだった天主堂が破壊され、信者たちは混乱のきわみにあった。
家族を失ったアツ子は「絶対にアメリカを許さない!」と叫ぶが、クリスチャンのミサヲは「憎んではいけない」と言い、ふたりは言い争いになる。

救護所ではもう入り切れないほどの被災者がいた。
その中で次々死んで行く人々の遺体を、スミたちは庭で焼かねばならない。
中には、赤ん坊を背負って火葬を待つ男の子がいた。背中の赤ん坊は弟なのだろうか、すでに死んでいた。
そんな中、ひとりの臨月の妊婦が出産。
スミたちもお産を手伝い、男の子を取り上げるが、母親は死亡。せっかく生まれた命ながら男の子の将来を思い、彼女たちは切なく思う。

8月15日、日本の敗戦が伝えられた。
看護婦や学生は「もし米軍が進駐してきて暴行されるような事態になったら」と青酸カリの包みを渡される。屈辱を受けるより、死になさい、ということだった。

マサルは、急性原爆症と思われる症状で死亡。
愛する人との将来を夢見ていたスミは、突然未来を奪われた。

秋になり、看護学生たちは救護所を去ることに。中心となって治療した秋山に深々と礼をする。
また会おうね、と三人は約束。

アツ子は原爆孤児となった子どもたちを育てる「聖母の騎士団」の孤児院の前を通りかかった。そこにいた生後数か月の男の子は、まさに彼女らが取り上げた赤ちゃんだった。
孤児院の責任者・令子(南果歩)は、やさしく赤ん坊を抱いて微笑むのだった。

アツ子は宮崎の親戚の家へ。
翌年、スミとは再会したものの、ミサヲも原爆症で天国に旅立っていた。


原爆投下後の長崎を描いている、と聞いて、何気なく見に行った映画だったが、三人の若い女の子たちの救護活動にフォーカスして描いていたのが良かったと思う。
当時救護活動をした日赤の看護婦たちの証言記録集をもとにしてこの映画は作られている。

治療や看護のしようもない惨状、多くの民間人が一瞬にして死んでしまう理不尽さ、原爆の破壊力。
もう物語の序盤で、胸にいろんなものが押し寄せて訴えかけてくる。
当時の看護婦たちは無力感、絶望を抱えながらも、それでも使命感を持って立ち働いていたのだろう。

もうひとつ、この映画を見に行った理由は、朝ドラ「カムカムエヴリバディ」や大河ドラマ「べらぼう」の出演で知った小野花梨さんが好きなこともあります。
今回も、悲しみをふりきって生きる姿に打たれます。

ラストシーン、スミの姿にダブるように、実際に8月9日後の救護活動を経験した、山下フジヱさんが特別出演、彼女の心情のナレーションを、やはり被爆体験のある美輪明宏が担当。
エンディングのテーマ曲は、これも長崎出身の被爆2世である福山雅治の「クスノキ」を賛美歌風のアレンジ。菊池日菜子、小野花梨、川床明日香が歌っていて、しみじみと心に分け入るように響く。
(8月20日、キノシネマ天神)
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