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2025年01月31日13:16

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「遥かな夏に」佐々木譲(新潮社)

会社をリタイアし、ブログに映画評を書いている70代の裕也。
彼のもとにあらわれた若い女性・真紀は唐突に「あなたはわたしの祖父ではありませんか?」とたずねるのだった。

真紀の祖母は、70年代半ばに活動していたシンガー・ソングライターの早智子。
だが、未婚で真紀の母を出産し、父親の名前は明かさないままだった。真紀の母も知らないという。

しかし、裕也にはまったく「身に覚えがない」話。しかし、早智子とは浅からぬかかわりがあった。

早智子はそのままのシンガー役として、「逃げた祝祭」という映画に出演したことがあった。
その映画は大手の映画会社ではなく、自主製作に近い形だったが、1976年のベルリン映画祭に出品されることに。
裕也が当時勤めていた会社は、その映画に出資もしていた関係で、広報宣伝をやっていた裕也は、映画関係者たちのサポートという形で、ともにベルリンにおもむく。

しかし、独立系の映画がベルリン映画祭に出されることをやっかんだ、映画評論家らの横やりで、「逃げた祝祭」は不本意な形で事務局から「失格」とされ、上映もすぐ取り下げられた。
裕也にとっては、苦い思い出の残る記憶だ。

最近、行方不明のままの「逃げた祝祭」のフィルムが見つかり、裕也がブログに映画のことを書いていたことから、舞台女優をしている真紀が話を聞きたいと、連絡を寄こしたのだった。

母の誕生日から逆算すると、「祖父」は、ベルリンにいっしょに行った男性の中にいるのでは?と真紀は思う。
裕也は、当時の監督、映画の原作者、主演女優の恋人など、ベルリン映画祭に同行した男たちを思い出すが、早智子が惹かれるようなキャラクターだとは思えなかった。

しかし、真紀の「人探し」に付き合ううち、裕也の心の裡にどうしようもない若き日の思い出があふれてきた。
自分はいわゆる「映画青年」で、8ミリや高価な撮影機器を買おうとさえ思っていた。
映画にかかわる職業も考えたが、学生の自主製作映画の上映会で、自分たちとはケタ外れの才能を見て、およばない、と痛感する。その名は「森田芳光」だった。

ミステリーの王道でもある「人さがし」の物語が、1976年のベルリンの熱を帯びた、映画祭という非日常の「祝祭」を回想しながら、すすむ。
そのあたりは、多くの国際サスペンスを書いてきた佐々木譲氏の身上でもあるし、「祖父」の正体はいったい誰なのか? と最後まで興味が尽きない。

ベルリンで撮られた写真を端緒として、「祖父」の手がかりがつかめてくるのだが、佐々木譲氏自身もおそらくは若い頃、かなりの映画青年だったのだろうと思われる。
本作には、直接の謎ときには関係しないものの、先述の森田芳光のほか、大島渚や若松孝二などの監督が実名で登場。
ちなみに1976年のベルリン映画祭では、大島渚監督の「愛のコリーダ」が上映され、過激な性描写のため、上映後警察によってフィルム没収という騒ぎもあった。

ラストシーンは、いまやアジア最大の映画祭となった釜山国際映画祭。
これを舞台に持ってくるところなどは心憎い設定だ。
ついでに、本書のタイトルもいわくつきの映画のまま「逃げた祝祭」のほうがよかったと思う。
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