1936年のベルリンオリンピック、マラソンの金メダリスト孫基禎(ソン・ギジョン)。
しかし当時の朝鮮は日本の植民地。
彼は「日本人選手」としてユニフォームに日章旗を付けて走った。表彰式では君が代が演奏された。無念の思いを隠し切れなかった彼は、その後引退に追い込まれる。
それから10年後。
日本の敗戦で朝鮮は解放されたとはいえ、国民は貧困にあえいでいた。
独立を切望するものの、国の南半分はアメリカ軍政下。
ソン・ギジョン(ハ・ジョンウ)は、酒浸りの生活。
「金メダル10周年・ソン・ギジョン記念マラソン」が開催されるが、メダル授与式にも投げやりな態度でやってくる。
彼の後輩で、ベルリンで3位のナム・スンニョン(ペ・ソンウ)は、それでもソンを励まし、ナムは今でも走り続けている。
そして有望な若いランナーを指導してほしいと言うのだった。
記念マラソンで優勝したソ・ユンボク(イム・シワン)は、病気の母をかかえ、極貧の中、賞金目当てで走ったものの、賞金が出ないと知り落胆。
そんな中、翌年アメリカのボストンで開催の「ボストンマラソン」に、朝鮮からも選手を出そうとソンやナムは切望。
しかしそこには困難が立ちはだかっていた。
アメリカの保証人、多額の保証金。異を唱えるソンたちにアメリカの担当者は「朝鮮は『難民国』扱いなのです」。
富裕層に働きかけると「国民が食うや食わずなのにマラソンなんてとんでもない」と一蹴された。
ユンボクの母が病死。働きに出た彼は最期を看取れず、病床にいたのはソンやナムだった。ユンボクの才能を見抜いていたソンは、彼に「走るときは謙虚になれ」と励まし、お母さんのためにも一生懸命走れと、トレーニングを続けさせる。
しかし、渡米の資金がどうしても捻出できない。
ボストン大会への「出征式」を挙行してそのことを無念の思いで告げると、集まった民衆は「行かせてやれ!」とあっというまに募金が集まったのだった。
アメリカではペク(キム・サンホ)という在米コリアンが保証人に名乗りを上げてくれた。
アメリカの軍用機で金浦空港から、ソン、ナム、ユンボクらは旅立った。みな飛行機に搭乗するのは初めて。ソンは「ベルリンへは汽車で行ったからな・・」とつぶやく。
東京、グアム、ハワイ、サンフランシスコを経由し、数日間もかかってようやくボストンに到着。
しかし出迎えのペクは、かなりうさんくさい男。ソンたちは心配になる。
レース前、ユニフォームを受け取ると、なんとそこには名前の上に星条旗が。
アメリカ軍政下の「難民国家」なので、アメリカからの出場扱いだというのだ。
ソンは激怒。それはベルリンでの屈辱を二度味わうものだった。
「太極旗(テグッキ)を付けて走らせてくれ! でないと帰国する!」
彼らの切望がようやく認められ、晴れて「KOREA」の選手として、ユンボクも35歳のナムもレースに出場がかなった。
優勝が有力視されているのは欧米の選手ばかり。
それでもユンボクは先頭集団に食らいついて、ボストンの街を必死に駆け抜けるのだった。
ペクはソンをバスに乗せ、ポイントの地点で降ろし、ユンボクの応援に。
その頃、朝鮮の地では、みながラジオの国際放送にかじりつき、ユンボク選手の順位に一喜一憂しながら声援を送っていた。
ユンボクの胸に去来するのは母のこと、そして山の峠道の祠まで毎日駆けあがってた子どもの頃のことだった・・
カン・ジェギュ監督、ひさしぶりの映画である。
韓国の文字通りの国民的英雄・ソン・ギジョンと、彼の盟友・ナム・スンニョン、そして彼らの意志を引き継ぐかのようなソ・ユンボクと3つの人生をからませ、スポーツと歴史のドラマチックな映画に仕上がった。
それにしても思うのは「祖国を失う」ことの屈辱や喪失感である。
半島の南部が「大韓民国」として独立を宣言するのは1948年。それ以前は日本の敗戦後も「難民国」という扱いだったとは。
ソン・ギジョンは、ベルリンの金メダリストという栄光を「韓国人」として受けられなかった。
ラスト15分のボストンマラソンのシーンは迫力満点。
結果を知っていても、やはりハラハラドキドキしてしまう。つい「ユンボク、頑張れ、追い抜け!」とスクリーンに声援を送りたくなってしまう。
カメラワークも、マラソンレースをとてもダイナミックに見せていると思う。
戦後の韓国で、ソン・ギジョン、ナム・スンニョン、ソ・ユンボクはスポーツ界の功労者となった。ソン・ギジョンは、1988年のソウルオリンピックの聖火ランナーとなり、スタジアムに入ってきて、若いランナーに聖火をバトンした。
購入したパンフレットには、あの金哲彦さんのインタビューも載っている。
それによれば金さんは晩年のソン氏とも面識があり、彼から「韓国代表になれ!」と激励されていたのだという。
作家の柳美里さんの名作「8月の果て」にも、ソン・ギジョン氏が登場する。
ソン・ギジョンの評伝を読んだ事があるが、ベルリンマラソン優勝の後、日本からは「日朝融和の象徴」と持ち上げられ、朝鮮からは「民族の英雄」と熱狂的に迎えられ、そのはざまで苦悩が深かったという。
さらに1950年に朝鮮戦争が勃発してからは「李承晩お気に入りの選手」と言われていた彼は、北朝鮮軍のターゲットとなり、生存さえ危ぶまれたそうだ。
劇中、ベルリン優勝のソン選手の写真の、ユニフォームの日章旗を「塗りつぶした」と言う東亜日報の記者が登場するが、彼は朝鮮戦争で北に連行され、行方不明のままだという。
主演のハ・ジョンウを見ると、大鶴義丹を思い出してしまうわたしです(^^;
(9月2日、キノシネマ天神)
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