ロンドンに住むニコラス(アンソニー・ホプキンス)は、株の仲買人を長くやっていた。1987年、ラジオからアメリカの株暴落のニュースが流れる。
ニコラスは裕福な生活らしく、庭にはプールも。妻(レナ・オリン)から、雑然とした書斎の片づけを言い渡されるが、机の引き出しにある、革の書類入れに目が留まる。
それは絶対に彼には処分できないものだった。
1938年、ナチスドイツはチェコのズデーデン地方を併合。
侵略的なヒトラーの行為を、英仏も黙認してしまった。
そのため、ナチスの支配を逃れるため、たくさんの人々がプラハに逃れてくる。
その多くが、小さな子供を連れていた。
若き日のニコラス(ジョニー・フリン)は、そのニュースに仕事どころではない。
プラハへ飛び、難民たちを救援するボランティアのドリーン(ロモーラ・ガライ)、トレヴァー(アレックス・シャープ)らと協力、子どもたちをロンドンに列車で送るため、里親探し、寄付集め、そしてプラハの子どもたちと会って、名簿作りに奔走していた。
ニコラスは、理不尽な戦争に巻き込まれる子どもたちに心を痛め、必死に活動するが、会社から呼び戻される。
後ろ髪引かれながらも、戻ってきたロンドンでは政府にかけあって、子どもたちの窮状と救出を訴えた。
ニコラスの母(ヘレナ・ボナム=カーター)も、30年前にドイツからの結婚でイギリスにわたって来ていた。それだけに息子の献身的な活動には協力的だった。
ナチスはプラハにも迫り、ヨーロッパをわがものにしようとしていた。
急ぎ、子どもたちをロンドンに送らないといけない。
そして翌1939年9月1日、ついにナチスはポーランドに侵攻、第二次世界大戦が勃発する。
まさにその日、プラハ駅から国際列車に乗ろうとしていた子どもたちはナチスの手に阻まされてしまった。
ニコラスは戦後もずっと「助けられなかった子どもたち」に対して、後悔の念をいだき続けていた。
あの革のカバンに入ったスクラップブックには、子どもたちの移送計画や、名簿や写真が残されていたのだった。
ニコラスは、旧知の新聞記者に、このことを取り上げてくれないか頼むが、「ウチは難民問題は扱っていない」とすげなく断られる。
だが、いわゆるTVの「ワイドショー番組」が、ニコラスのスクラップブックを紹介したことで大きな反響を呼んだ。
イギリスじゅうで「献身的に、子どもたちの命を救った人がいた」と話題になり、当の、プラハから救出された、「大人になった子どもたち」が、ニコラスと同じスタジオ観覧席に登場、思いがけず再会を果たす。
賞賛を浴びるニコラス。しかし彼は「見てしまった者の責任。一人を救うことは世界を救うこと」と謙虚に思うのだった。
助けられた子どもたちにはユダヤ人が多かった。
いま、ガザでの紛争を思えば、この手の映画を見に行くことに躊躇はあったものの、アンソニー・ホプキンス、「存在の耐えられない軽さ」のレナ・オリン、「ファイト・クラブ」のヘレナ・ボナム=カーターが出演しているので、やはり見に行こうと出かける。
いわば「イギリス版シンドラー」の物語である。
よく、ボランティア活動などで尽力する人に「見返りがないのに、どうしてどこまでがんばれるんですか?」と質問する人がいる。
共通する答えは「目の前で困っているというのに、知ってしまった者として何かしないではいられないではないか」と言ったものである。
まさに「義を見てせざるは勇無きなり」。
そしてご本人に「すごいことをしている」といった気負いもおごりもない。
なにかせずにいられない、という気持ちが行動を突き動かしている。
世界は破壊と暴力と不正義に満ちている。
しかし、まれにニコラスのような人も現れる。
そういう人が地球の正気を保っている。
人間、捨てたもんじゃないよ、とつぶやきたくなる。
正義感溢れる青年から、老成したおじいちゃんになった男性役に、アンソニー・ホプキンスはうってつけでしたね。
(7月3日、キノシネマ天神)
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