80年新日本プロレス「ファン感謝スーパーファイト」の参加外国人選手の総括です。(「ブラディ・ファイト・シリーズ」に参戦したボブ・バックランド、スタン・ハンセンは除く)
新日本プロレス初参戦、WWFインターコンチネンタル&ミズーリ州ヘビー級二冠王者として登場したケン・パテラは初来日が新人時代の73年1月、国際プロレスの「新春パイオニア・シリーズ」でこの時は前72年のミュンヘン五輪重量挙げに出場、オリンピックボーイ好きのバーン・ガニアにスカウトされてプロレス入りしAWAでデビューしガニアのブッキングで来日。
まだ試合の組み立てがうまくなく、中堅・若手との1対2ハンディキャップマッチなどで怪物ぶりをアピールしました。
その後、テキサス、オクラホマ、ノースカロライナ等を転戦し77年にWWWF入り、1月17日と2月7日にはニューヨークMSGでブルーノ・サンマルチノのWWWFヘビー級王座に挑戦、世界に通じるメインイベンターに成長。
MSGでのサンマルチノ戦が馬場の目に止まり77年10月「ジャイアント・シリーズ」に初来日、このシリーズは他にワフー・マクダニエル、ボボ・ブラジルも参戦していましたが、単独エースの扱いでブラジルと組んで馬場&鶴田組のインターナショナル・タッグ、馬場のPWFヘビー級王座に挑戦していますが観客は呼べませんでした。
キャリアを重ねてジム・クロケットのNWAミッドアトランティック地区でトップとなり、80年にWWFに再登場。同時にNWAセントラルステーツ地区にも並行して出場、4月21日MSGでパット・パターソンを破り、第2代インターコンチネンタル王者となり、4月25日にはセントルイスでケビン・フォン・エリックを破ってミズーリ州ヘビー級王座を獲得。
NWA、WWFの2大ナンバー2ベルトの同時保持という快挙をやってのけ、新日本プロレスへの来日時は紛れもない二冠王者でした。よくありがちな日本では王者として紹介されながら実際は来日前にはベルトを落としていた、とは違います。
全米メジャーのトップと猪木の初対決は猪木がパテラのパワー殺法を一通り出させてから延髄斬りから卍固めで身体の硬いパテラを仕留めて見せました。パテラは試合内容は悪くはありませんでしたが攻めが雑、スピードには欠けました。
帰国後、パテラはインターコンチネンタルはペドロ・モラレスに、ミズーリ州はテッド・デビアスに負けて取られ無冠になり、翌81年1月の「新春黄金シリーズ」に今度はシリーズのエースとしてフル参戦することになります。
2年半ぶりの来日となったロン・スターは元NWA世界ジュニア・ヘビー級王者としてハクをつけての来日、ベルドを剥奪されてからはロサンゼルス地区で活躍、そのルートから新日本プロレスにやってきました。
藤波辰巳とのWWFジュニア・ヘビー級選手権試合はある意味「ジュニア最強決定戦」と言える試合でしたが結論からいけば藤波と互角には闘えるまでに至らず、パワーファイターではない藤波の逆エビ固めに、あっさりギブアップしてしまいました。藤波が丸め込みでないフィニッシュを選ぶのはスターを格下扱いしたということでしょう。
チャボ・ゲレロは「第3回MSGシリーズ」以来約4か月ぶりの来日、NWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王者、木村健吾には荷が重い挑戦者で、どちらが王者かわからない落ち着いた試合ぶりで木村健は両者リングアウトに持ち込むのが精一杯でした。
スターとチャボは10月10日、後楽園ホールで開幕する次期「闘魂シリーズ」に連続参戦が決まっています。
今シリーズのストロング小林ですが、タッグマッチでスタン・ハンセンに2回フォール負けを許しただけで後は、一本負けはなし。先の「サマー・ファイト・シリーズ」から好調ぶりは維持していると言っていいと思います。
この年の8月にキングレコードより「新日本プロレススーパーファイターのテーマ」のLPレコードが発売されています。
これにより選手の入場テーマの曲が変更されました。このシリーズはハンセンの「ファイヤーパワー」(ガドー・バルビエリ)は「ウェスタン・ラリアート」、ボブ・バックランドの「レオンカバロのパリアッチ」(メイナード・ファーガソン)は「バックランド・ストレート」に変更。
その後、漸次タイガー・ジェット・シンの「タイムマシン〜イン・ザ・ビギニング」(ミーコ)は「サーベルタイガー」に、ダスティ・ローデスの「カクトウギのテーマ」(坂本龍一とカクトウギ・セッション)は「アメリカン・ドリーム」に変更され、当時はガッカリさせられたものです。
しかし、S小林にも「ストロング・ハッグ」というテーマ曲が出来、後に「革命戦士」として時代の寵児となった長州力の「パワーホール」もこのアルバムが初出となりました。
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