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2024年04月03日15:23

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すべての言葉は通り過ぎてゆく第126回



西暦2024年弥生蝶人狂言綺語&バガテル―そんな私のここだけの話第424回


「久しく現代の美術が問題にした、表現のゼロは、今日になっても作家が一人新地に立つ基点のように考えます。何故ならば、芸術は存在しない結論への疾走だと思うからです」鴫剛「美術手帖」(1975年5月号)3/1

「絵画は嘘の写真もどきにいくらでも接近できますが、そこには機械と手との違いがあって微妙な差が出るのは当然です。が、その違いや差に問題があるというよりは、その関連としての在り方や写真的事実に沿って起こる無機的な作業に興味があります」鴫剛「美術手2帖」(1975年5月号)3/2

「写真に記録された風景は、私に纏わり付いてきた現実の過去を見せるものですが、それは死という未来に向かって間違いなく生きている今を、逆説的に意識の上に照らし出していると言えます」鴫剛「現代日本の美術・2展図録」(1983年7月)3/3

私には気づかずに行われる呼吸のような生理現象に最も近い形として描いていたい欲望がある。現実の何かを描きたいということではなく、現実の何かが私に描かせているのだ。そしてそれは時代感情、生活感情、人生体験、抽象的思索あるいは無意識等の雑多なコレクションからリコレクションされていく過程の呟きかもしれない。鴫剛「現代日本の美術・2展図録」(1983年7月)3/4

「走行する車から撮影した写真を基に絵を描いた。車窓に飛ぶ樹木は、私自身の時空間移動を相対化して象徴しているようにも見えるが、あえて穿って言えば、いつか動きの止まる日=「終末」の兆しを孕んで、現代の無常漂泊感として似つかわしいと思ったのかも知れない」鴫剛「動きの表現展図録」(1988年10月)3/5

「幼い頃、遠足で「えのしま」へ行くと聞かされた時、その語感から不思議な興奮を覚えた記憶がある。それは“ホントに「絵の島」へ行くんだ”と思ったからである」鴫剛「ENOSHIMA展図録」(1992年3月)3/6

「それから40数年が過ぎ、土産物として絵に描かれた「えのしま」はあっても、幼き日に心躍らせたあの「絵の島」はない。しかし、そこには「絵の島」と「江の島」との距離が、私の生きた時間の厚みなのだと感じさせる、懐かしい何かがある」鴫剛「ENOSHIMA展図録」(1992年3月)3/7

「多分、絵を描くこと自体は、たとえば「絵の島」という彼岸に架かる橋を渡る意志なのだろう。そして、此岸には、人それぞれの「えのしま」があるのに違いない」1962年2月9日 江の島にて。鴫剛「ENOSHIMA展図録」(1992年3月)3/8

「絵画は終わった。死んだのだ。と喧しく言われていた頃に美術を始めた私は、爾来30年余りを主人の死体に離れず寄り添う愛犬の如く、絵画から遠ざかることなく、死体の現代絵画と付き合ってきたのだが、その死は、どうも仮死状態なのではないかと思うようになった」鴫剛「第36回安井賞展図録」1993年2月 3/9

「寝て夢を見ている時、眠っている眼では何も見えない筈の映像が、脳の配線を駆け巡ってそれが見えるように、絵画の中には未だ見えないものを見えるようにする配線が張り巡らされているような気がしてならない」鴫剛「第36回安井賞展図録」1993年2月 3/10

本日は東日本大震災13年。あれだけ原発は恐ろしいと学んだはずなのに、たった13年で忘れ果てて安全性を無視した運転再開、長期運転に乗り出すこの阿呆莫迦国家とド腐れ国民の健忘症よ!3/11

「人間の脳にインプットされている絵画の情報は多大かつ豊かで、創造性の不思議と謎の暗部を秘めてそう簡単には死ぬ訳にはいかないのだろう。批評が余りにも性急に結論付けた絵画の終焉に懐疑的な私は、今私なりに絵画を見直したいと考えている。情報と感情に流された表現を警戒しながら、脳を旅し、脳が旅するように……」鴫剛3/12

もし我が家を震度5以上の地震が襲ったら、確実にぺしゃんこになってしまうだろうと思いつつ、特に何もしない。3/13

労組の要求以上の回答が出た企業の労組って、そもそもの存在意義がないのではないだろうか?3/14

親分が、「裏金は違法だからもうやめよう」というたにもかかわらず、素知らぬ顔でそのまま受け取り続けた子分って、お天道様には顔向けできないのではなかろうか。3/15

茅ヶ崎市の「九条の会」が主催する「平和を願う講演と音楽のつどい」を後援しない茅ヶ崎市長は、憲法尊重擁護義務をうたう憲法第99条違反の廉で告訴されるべきである。3/16

いつになったらウクライナ、そしてイスラエルで血生臭い戦は終わるのか? 
今こそイエスの言葉に耳を傾けよ。
「剣を鞘に収めよ。剣を取る者はみな剣で滅びる」マタイ伝26章52節 3/17

強風で寝られないのではないかと心配して、「おかあさん、布団持ってきましたよ」というて、2階から1階まで布団を運んできた長男。なんて優しい子だろう。3/18

極私的でありつつ公的(コモン)であり、コモンでありつつ極私的であろうとすれば、必然的にプーチンやトランプになる。のではないだろうか?3/19

日銀が、中小零細企業の実質賃金上昇をきちんと確認せずに利上げに走るのは、時期尚早ではないだろうか。3/20

関東地震より、ジミンのドサ回り懺悔より、日銀の利上げより驚いたのは、水原通訳の6億8千万円賭博窃盗事件だった。この際、維新の大阪カジノ万博や異次元男内閣の賭博NISA扇動もやめた方がいいね。3/21

一夜にして降ってわいた水原=大谷裏金疑惑。ドジャースにしたら、とんでもない災難だが、これがこの世のありのままの姿なんだろうね。3/22

もし私が異次元男だったら、腐敗堕落の極に達したジミントオを解散し、すべての不祥事の責任をとって政界から引退するだろうな。3/23

「もしトラ」が現実のものになったら、世界とその民草は、またしても混乱の渦の中に巻き込まれて、未曽有の苦難と向き合うことになるのだろうな。3/24

オザワに呼ばれるようにして、ポリーニが死んじゃった。あとはメータ、ムーティ、バレンボイム、アルゲリッチくらいか。寂しいなあ。3/25

昨日バスに乗って山本餃子の隣にある病院に行って3か月分の降血圧の薬をもらって、会計待ちの椅子に座って待っていたのだが、ガラガラの病院なのにいつまで経っても名前を呼ばれない。ふと気づいたら手にカルテがある。なんとなんと会計に出すのを忘れていたのだ。3/26

大谷選手の弁明会見に耳目が集中している間に、死にぞこないの内閣が、民草のあずかり知らぬところで勝手に戦闘機の輸出を「決めて」しまう。こんな暴挙は大谷選手だって許しはしないぞ。3/27

げんざい米国ではバイデンが77歳、トランプが73歳、本邦では森が86歳、二階が85歳、麻生が83歳だが、これらヨボヨボの老害政治家ドモは、即刻引退すべきである。3/28

おらっちにとって、詩を書くことは、腹が減ったらメシを食い、そいつが腹にたまったら尻から排泄する行為と全く同じ無意識の日常的行為なので、やれ「現代詩とは何か」とか、「主語より形容詞が大事だ」とかの技法や、「戦争詩を書くべきか否か」というような高尚なハナシはどうでもよいのである。3/29

石川啄木と夏目漱石の縁で朝日新聞を取っていて、なかなか東京新聞に代えられないでいるのだが、それにしても亀田誠治と佐伯啓思の連載記事、朝日歌壇の愚劣さには辟易する。なんとかならないものだろうか。3/30

ようやっと朝日歌壇がネットの受付を開始するようだ。超保守的な老新聞の遅きに失したささやかな改革といえようが、あとは老朽墓場化した選者の一掃を願いたいものだ。3/31

   大谷が打てなくても勝つドジャースになんでいるのか大谷翔平 蝶人



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