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2023年10月12日16:20

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「在日コリアンの文学史」(落合貞夫・ボーダーインク)

<帯の案内文より>
「100年にわたる在日コリアンの文学の歴史を、代表的作家36人の作品を通じて概説する本格的通史。「植民地文学」から「世界文学」への跳躍、「在日」文学を世界史全体の中に位置づけて考察する最新のガイドブック」
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「在日コリアン文学者」としてぱっと浮かぶのは、金達寿、李恢成、李良枝、金石範、金時鐘、柳美里らだろうか。
本書は戦前から、最近文壇に出た作家まで、在日コリアンの作家たちを50年代、60年代、70年代、80年代、90年代、2000年代と活躍年代ごとに区切り、そのプロフィール、主要作品の概要を網羅している。
おなじみの作家から、鄭承博、金康生、金在南、元秀一などはじめて知る作家も多く、在日文学の広がりを感じる。
「日本名」で活動したつかこうへい、立原正秋も登場し、飯尾憲士の名前を見つけたときには懐かしかった。
近年では深沢潮、崔実なども取り上げられている。

「在日文学とは何か」というテーマになると、一言でカテゴライズするのは難しいかもしれないが、いやおうなく、日本の近代史と関わっているのは論を俟たないだろう。
1910年の日韓併合で朝鮮は植民地となり、日本語教育が強制された。
敗戦時、200万人の朝鮮人が日本に在住していたと言われる。仕事を求めて、留学のため、強制的な徴用など、さまざまであったろうが、今度は東西対立に巻き込まれ、朝鮮半島は激しいイデオロギー対立の末、朝鮮戦争が起きる。その混乱の中、日本に渡る者もいた。

ゆえに在日コリアンたちが文学表現しようとするとき、その政治的状況とは切り離せない。
初期の在日文学者たちの多くが左翼活動にかかわり、総連の活動家でもあったりするが、北朝鮮の実像が明らかになってくると、「革命」への希望が絶望に変わってしまう。
その無念の思いはなんとも言い難い。

さらに日本国内での民族差別は深刻であった。貧困、偏見、差別問題は、だから大きなテーマになる。

そんな「在日文学」も、3世や4世の世代になると、ある意味日本社会の「同化」の中、イデオロギッシュなものから離れ、民族問題にはとらわれない物語も書かれることになる。
とはいえ、ヘイトスピーチ問題に見られるように、民族差別はいまだ根深く、ネット社会になって逆に陰湿化しているような状態だ。
深沢潮はヘイトスピーチなど今日的な問題に関しても、作品で取り上げている。

「当事者性」ということで言えば、在日文学の書き手は日本社会の中で「マイノリティー」として生きざるを得ず、生きることそのものが文学の核心となる。
「在日文学」はそれゆえ、大きな広がりや可能性を持ち続けるのではないか。
柳美里氏はパートナーの東由多加氏からかつて「あなたがマイナスだと思ったことも、それを書けばプラスにひっくり返る。あなたは書ける」と進言されたそうだが、まさに少数者、被差別者の在日コリアンは、書くことで、日本文学の荒野を沃野に変えてきた。

また、本書では女性詩人・宗秋月の詩のことばについて「大阪弁に済州島の方言がまじった「猪飼野語」ともいうべきクレオール語である」との川村湊氏の指摘は、目を開かれるものであった。クレオール語と言えば、中南米やカリブ海諸国が浮かぶのだが、文学表現をすることによって、朝鮮の豊饒な言葉とともに、日本語の多義的な可能性をも示している。

また「在日」といっても当然のことながらさまざまだ。
朝鮮籍の者、韓国籍の者、朝鮮籍から韓国籍へ変える者、日本に帰化する者。そして「祖国」としての北朝鮮や韓国への距離感もさまざま。日本国籍にして同胞から「裏切者」呼ばわりされる在日の苦悩も、作品のテーマに出てくる。
文学作品は、そういった内面をよりいっそう鮮明に伝えられるのだと思う。

2004年に若くして自死した鷺沢萠は、わたしも一連の小説をかなり愛読していたが、昨今の韓流ブームやKーPOPへの日本の若者の人気などを彼女が見ていたら、どう感じたか、ぜひ書いてほしかった。

本書には収録されていないが、呉勝浩、李龍徳なども在日作家の系譜になるだろうか。呉氏は「自分が何世になるのかわからないし、関心もない」と語っているようだ。
なぜ、日本に「在日」がいるのか、そしてその文学が日本の文壇でどう評価され影響を及ぼしてきたかの理解の一助になる一冊である。
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