韓国文学に関心がおありの方なら、「斎藤真理子」さんの名を知らない人はいないだろう・・そう言い切れるほど、彼女の活躍は目覚ましい。
昨今、数々の韓国の小説の翻訳書を出し、「斎藤真理子は3人いるんじゃないか!?」と言われるほど。
わたしの友人も韓国の小説の翻訳家だが「斎藤さんみたいなスピードで、とても翻訳できませんよ!」と驚いていた。
その彼女の、岩波書店の「図書」に連載した読書エッセイをまとめたのがこの本。
広告が出たときから気になっていたが、那覇に住む編集者の友人から「今年いちばんの読書エッセイです」とメールをいただき、いそいで書店に行って購入した次第。
作家の書評集は、わりとよく読むほうなのだが、たいてい「新刊」からのセレクト。
そしてだいたい、新聞や雑誌の書評欄をまとめた単行本となる。
だもんで、必ずしも自分のアンテナに引っかかる本でなかったりするし、その時点の「新刊」縛りなので、取り上げる本も限定される。
だが、「本の栞・・」は、斉藤氏がこれまで触れ合ってきて、人生の中に影響を及ぼしてきた書籍が登場。
それだけに思い入れも深い。韓国文学の翻訳家だから、やはり、朝鮮・韓国に関するもの、コリアンが登場する小説を取り上げたものがエッセイに出てくる。
そうして読みながら、当たり前のことだけど、改めて彼女の読書生活の豊饒さに感じ入る。
わたしの2歳上、地方出身だった斎藤氏。
冒頭、いきなり「チボー家の人々」である。それを1977年、町の小さな書店に奇跡のように置いてあった5巻セットを買ったのだという。
わたしなどそんな「大作」など無縁の生活だった。
出会った本を読んだときの自分と現在の自分を照射し、時代の変化と、変わった自分を客観的に見据えつつ、紹介されている本は、歳月を経ても心を突き刺すようなものが多い。
斎藤氏がそれらを血肉にして成長してきたのがわかる。
彼女はまた、詩が好きで、かなりの詩集を読み込んでいる。
実は斎藤氏は韓国語が堪能なだけでなく、韓国語で詩を書いて、詩集を出版しているほどなのだ。それだけの下地があったということだ。
日本ではマイノリティーの在日コリアンについて、堀田善衛や永山則夫の小説に登場していると、本書で紹介されているのだが、わたしは堀田氏のその「若き日の詩人たちの肖像」を読んだはずなのに、すっかり失念していた。実在の人物をモデルに、とても印象深いキャラクターだったはずなのだが。
永山氏の小説では、日雇い仕事にありつけた、永山自身がモデルであろう貧しい主人公が、雇い主の在日コリアンを「俺より下がいた」と同情とも憐憫ともつかない複雑な心情で見る。
斎藤氏は森崎和江や上野英信の本を読んで筑豊に幾度も足を運んだという。
わたしの「地元」でもある。
彼女の年代だと、すでに「セツルメント運動」は終わっていたのではないかと思うが、思うところがあったのだろう。
読書体験の蓄積が斎藤氏に、人間の本質と真理を見据える視点を積み上げて行ったのだと思う。
本書で後藤明生と李浩哲が戦前、元山(現在の北朝鮮)の中学で同級生だったとか、沖縄の詩人・仲村渠が、朝鮮の詩人・鄭芝溶と同時期に北原白秋が主宰した雑誌「近代風景」で活躍していたとか、初めて知ることも数多く、いつか斎藤氏に、日本と朝鮮の文学者とのかかわりあいを論じた本を書いてほしいものだ。
戦時下の文学者たちが残した「日記」について、女性のものは少ないと前置きしつつ、野上弥生子、吉沢久子、田辺聖子らのものを引用し、その肉声の貴重さを論じる下りも興味深い。
斎藤氏はここ数年で脚光を浴びることになったが、まさに長い彼女の読書体験が、今になって花開いた、と言えるのだろう。
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