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2023年08月01日22:45

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雷と豪雨と抜刀術

午後1時すぎ、駅に着いた途端に、雷が鳴り始め、豪雨になりました。

あの熾烈な暑さが一息つき、乾ききった地面が潤うのは有難いけれど、途切れることのない大太鼓の連打の様な雷は本当に怖かった。

8月の幕開けは、中々ドラマチックです。

ここのところ、何人かの経験者に、今の私のやり方をお教えする機会があり、喜んでいただけることとなったのだけれど、それにつけても改めて考えてしまうのは

「メソードって何だ?」

ということ。便利なものではあるし、当座、なんとかしなくてはいけないので、それはそれでの役割はあるのだろうけれど、問題は「それしかない」と思わせてしまうところではなかろうか・・

私からの提案も「これも数多くの選択肢の一つです。選択肢を増やしてみてください。結局のところ、自分にとってのメソードを自分で見つけるのが一番です。」で締めくくる。

。。なんて多少偉そうなことを口走ってしまいましたが、ここに来て、やはりまだまだ色々と縛られたままだったのを実感している。

別に誰かに縛られていた訳ではなく、縛っていたのは自分自身。

これまで一度たりとも疑っていなかった、そしてこれだけは変わらないだろうね、と思っていた右手の取り扱いが大きく変化。

きっかけは例の「左右を協力させない」という使い方からきた抜刀術の検証。

掬い手にして楽器を構えてから肘から先だけを返して、肩を上げないようにする、というのが、甲野先生に出会って以来、つまりこの20年、ずっとやってきていた私の右手だった。

普通にやると上がってしまう右肩が、これで落ちたままなので、とても効果があったやり方だ。

まさか、これが変わることになるとはね。

これをやり始めた頃の私はまだまだフルートを横に構えていたので、これが必須だった。

でも、今や、よりフルートは斜めになり下を向き、ということで、何もわざわざ掬手で掲げ挙げて、とやらなくても、抜刀術そのまんまの手でいいじゃん、ということになったのでした。

思えば20年前、初めて腰帯をし、刀を下げ、抜いた瞬間に感じた自由さをそのまま大切にすればよかったのに・・

まあ当時は今よりもずっと滞りだらけだったから「ねじらない」ことの効用にしか気が付けなくても致し方なかったけれど。

右手も左手も、刀を取り扱うまんまの所作。
刀を抜き放ったところがフルートの場所、で丁度良い。
このゴールデンエリアであれば肩はささない。

ということで、天変地異という言葉がぴったりの本日とシンクロさせての抜刀術方式の構となりました。

暑いし、まだ右半身はだるかったりするし、とウダウダしている時間の方が多いのですが、それも今日の雷と雨で祓ってもらった心地もする。

そういえば、甲野先生の抜刀術はまさに「祓い」。

あれこれ祓って気持も切り替えて、この8月も乗り切っていきたいと思います。





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