最寄駅から4つ先の「春日原」駅そばにイオンモールがあって、そこにはシネコンも。
それで出かけてみた。これからよく使う映画館になるかも。
この日見に行った、午後2時から上映の役所広司主演「銀河鉄道の父」は、東京での舞台挨拶を、全国300か所以上の映画館でライブビューイングする、というもの。
役所広司、息子役(宮沢賢治)の菅田将暉、娘役の森七菜、そして成島出監督がスクリーンに映し出される。
冒頭、役所広司さんが「最近、能登半島で大きな地震があり、被災された方にお見舞い申し上げます」とあいさつ。
4人が映画の見どころをそれぞれ語る。
役所さんは「21歳から晩年まで演じています。若い頃の姿をメイクさんが見事につくってくれましたので、ぜひご覧ください」。
菅田さんは「賢治が文字を書きつけるシーンがありますが、あれは宮沢賢治さんの残された文書の筆跡を一生懸命真似ました。だから機会があったら、宮沢賢治記念館に展示されている、実際の筆跡と比べてみてください。かなり似てると思います」。
森さんは「当時、着物の下にネルシャツを着るのが流行っていたそうです。そんな服装もぜひ注目してください。あと、袴にはブーツを履いています」。
成島監督は控えめで、俳優たちを立てるように「役者さんたちがほんとうに熱演してくれて、いい作品になりました」と。
20分ほど、ライブビューイングの中継があり、そのあと通常の上映が始まった。
明治29年、岩手県花巻の質屋・宮澤家の長男として生まれた賢治。
父・政次郎(役所広司)は、賢治を溺愛し、彼が赤痢になったときは病院に泊まり込んで看病する。そんな政次郎を祖父の喜助(田中泯)は理解できない。
賢治は、妹のトシととりわけ仲が良く、アンデルセンの童話を読み聞かせたりする、お互い、読書好きの子どもだった。
政次郎は、質屋を賢治に継がせるつもりだったが、長じた賢治(菅田将暉)は、質屋を嫌う。
そして突然「人造宝石」の商売をすると言い出したり、はては日蓮宗にハマって、東京に修業に行くと言い出したり、政次郎も母のイチ(坂井真紀)も、息子の行状にとまどう。
祖父・喜助の葬儀でも、家は浄土真宗なのに、賢治は日蓮宗のお経を唱えて、僧侶を困惑させるが、政次郎はもう賢治を咎めなかった。
賢治の一番の理解者であるトシ(森七菜)は、女学校の教師をしていたが、結核にかかり、実家から少し離れた一軒家で療養。
以前から詩や童話を書いていた賢治は、トシのために新たに物語を書き、「風の又三郎」を読んで聞かせるのだった。
しかしトシは大正11年に死去。
賢治をはじめ家族の悲しみは深く、賢治は「永訣の朝」を書く。
それからしばらくして、賢治の文章を集めた「春と修羅」が自費出版された。
大喜びする政次郎。
しかし無名の青年の本はほとんど売れず、賢治は落胆。それでも政次郎は息子が誇らしかった。
やがて賢治は、地元でレコードコンサートを開いたり、そこでチェロを弾いたり、そして農民たちに、肥料を使った農業指導を行って、慕われるようになる。
ようやく落ち着いたかに見えた賢治の生活。
しかし、賢治を、トシと同じ病が襲う。
政次郎は主治医(益岡徹)に、「何かの間違いで、風邪じゃないですか?」と食い下がるが、結核で、ただ療養するしかすべはなかった。
賢治は、トシが最後の日々を暮らした家で過ごし、昭和8年37歳の若さで世を去る。
原作は門井慶喜の直木賞受賞作「銀河鉄道の父」。
宮沢賢治って、わたしは熱心な読者ではないのだが、彼は近・現代日本文学の中でも、太宰治と並んで「熱烈ファン」が多い文学者ではなかろうか?
その独特の世界に惹かれる愛読者、彼を語るファンの熱量の高さよ・・。
なんとなく、わたしは、地元の農学校に通って、青少年に指導した優等生をイメージしてたのだが、いやはや、こんな「困ったちゃん」だったとは(;´∀`)。
まあ、あの時代、文学を目指す人間は、変人が多いものだが・・。
しかし、ぶつかりあいながらも父の政次郎は息子を受け入れ、親馬鹿なぐらい、息子に肩入れしていく。
映画では、菅田将暉が、エキセントリックな賢治を、時に狂気に満ちたまなざしを持って熱演している。
賢治は、その才能を激賞されていたのだとばかり思っていたが(国語の教科書には必ず載っている人だし)、生前はほぼ無名の存在だったとは。
天国の賢治は、自分が賛美され、映画やドラマになっていることを、戸惑いながらも喜んでいるのかも。
そういえば思い出した。
小学生のわたしは、4年生ぐらいの頃「よだかの星」を読んで涙が止まらず、たぶん、あの当時読んだ本の中で、最も感動した物語の一つだったともう。
岩手県って、賢治といい、大谷翔平といい、佐々木朗希といい、なにか、規格外の人物を生み出す土壌があるのかな。
(5月13日、イオンシネマ大野城)
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