女性監督のジワン(イ・ジョンウン)は、3作目の映画も不入りでスランプ。一緒に制作しているプロデューサー女性も、もう映画の仕事をやめようか、と悲嘆にくれる。
息子のボラム(タン・ジュンサン)からも、「お母さんの映画は面白くない」と言われ、夫のサンウ(クォン・ヘヒョ)とも冷めた仲になっていた。
そんなジワンに仕事の依頼が。
1960年代に活動していた女性映画監督・ホン・ジェウォンの作品「女判事」のフィルムの修復作業。
途中から音声が入っていないのだ。
ジワンは、ホン監督の娘をさがし、彼女から、監督が写っている写真を託された。
監督ともに写ってるのは、フィルム編集、制作の女性たちで写真の裏には「サンバガラス」という言葉が。
ソウルの乙支路(ウルチロ)にあった喫茶店で撮られたらしい。
ジフンが不動産屋で調べ、今も残るその古いビルに出向くと、その当時を知る老人(ユ・スンチョル)が、「編集担当の女性は今も存命で、忠清南道に住んでいると思う」と教えてくれた。
「サンバガラスって何ですか?」と訊くジワン。「三人の仲良しのことだよ」。
どうも日本語がそのまま使われていたようなのだ。
加えて、監督の娘から「亡き母が寄贈した、『女判事』の台本が残っているはずです」と連絡が。
フィルムと台本を突き合わせ、オリジナルの俳優と似た声の声優に、セリフを入れてもらう。しかし、フィルムのつながりが不自然だ。どうもカットされた部分があるらしい。
ジワンは忠清南道の田舎町に、編集担当の女性・オッキ(イ・ジュシル)をたずねた。もうかなりの高齢だ。
歩行が不自由なものの、彼女は、映画制作時代をなつかしく語る。
彼女は、古い手帳を繙き、「女判事」が封切られた映画館を教えてくれた。
そこになら、当時のフィルムが保管されているかもしれない、と。
ジワンは、その映画館を探し出したが、半ば廃墟のようになっていた。
もう取り壊し寸前で電気も通っていない。天井には穴さえ開いている。
それでも映写機は使えるから、と映画館の技師(チャンユ)は細々と上映を続けていた。
古いフィルムを必死で探すが「女判事」は見つからない。
ジワンはふと目についた、黒い帽子を貰ってくる。
というのも、帽子をかぶったホン監督の、撮影中の写真を見たからか、幻影のように、夜、帽子姿の女性の人影を見たことがあったからなのだ。
息子のボラムがふざけてその帽子をかぶっているとき、紐のようにしてついていたのが、フィルムであることを指摘。ジワンは、カットされたフィルムだとわかる。
急いでふたたびあの映画館へ。
そこには検閲などでカットしてしまったフィルムが大量に残されていた。
ジワンが、あいた天井からふりそそぐ光のもとでフィルムを透かしていると、とうとう、あの「女判事」のシーンを見つけた。
再度、オッキの家へ出向き、ジワンは、フィルムをつなぐ作業を手伝ってもらう。
「検閲で何がカットされたんですか?」
「女性がタバコを吸っているシーンよ」
「そんなことで・・」
「当時は、そういうシーンもふさわしくない、ってされたのよ」。
修復なった「女判事」は、イベントで上映されることが決まった。
ジワンは、映画界でごくわずかしかいなかった女性たちの苦労と無念さに思いを馳せながら、これからも映画を作り続けて行こうと思うのだった。
最近、まったくの偶然だが「エンパイア・オブ・ライト」「フェイブルマンズ」そしてこの「オマージュ」と立て続けに「映画愛」をテーマにした映画を見ている。
「オマージュ」も、韓国映画界でパイオニアたる女性監督へのまさにオマージュ。
実在の、60年代に活動していた女性監督がモデルだという。
「女判事」も、韓国初の判事になった女性が主人公、という設定だ。
今よりももっと女性の地位が低く、映画制作と言う男社会の中で、彼女たちがとてつもない苦労をしたことは、想像に難くない。
しかし、本作では、前面にはそういう批判は出さない。
だが、ジワンの表情から、先人たちへの畏敬の念、「もっと撮りたかったのに、3作目で終わってしまった」というセリフから、才能を生かせなかった女性たちへの共感、そんな社会への批判が十分すぎるほど伝わってくるのだ。
喫茶店の老人や、古い映画館の映写技師など、ジワンを応援してくれる脇役もいい。
映画って、だれかに力をくれる、夢を抱かせてくれる存在なんだな、と改めて思わせてくれる。そんな作品です。
(3月10日、シネマート心斎橋)
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