1952年、幼いサミー・フェイブルマンは、両親に映画館に連れて行ってもらう。
そこで見たのは「地上最大のショウ」。
列車が衝突し、車両が宙を舞う大スペクタクルは、彼にはとてつもないインパクトだった。
プレゼントに父親(ポール・ダノ)からミニチュアの鉄道と線路のセットを買ってもらうと、さっそく映画のシーンを真似て鉄道を動かし、衝突させるのだが、せっかくのプレゼントを壊してしまった。
そこで、母親(ミシェル・ウィリアムズ)からは小さな8ミリカメラで衝突シーンを撮れば、何度も同じものが見られるのよ、とアドバイスされた。
そしてその通り、あきることなく、撮った映像のスペクタクルシーンを見つめるサミー。
やがてサミーは映像を撮ること自体に夢中になり、妹たちにゾンビの恰好をさせてホラー映画風のものを撮影したりするように。
一家はニュージャージーからアリゾナへ引っ越し。
父親はエンジニアで、友人・ベニー(セス・ローゲン)もいっしょだった。
成長したサミーはボーイスカウト団の仲間を巻き込み、西部劇のムービーを撮影。
発砲シーンは花火の音を使い、荷馬車をレンタルし、土埃を立てて走ってるように見せるため、大量の土をまき散らす。
団員や保護者たちの前で上映すると、大喝采だった。
サミーは家族旅行にも、撮影機材を持ち込んでその様子を撮影。
しかしフィルムを現像しながら、サミーはあることに気付く。それはベニーを見つめる母の姿。それは明らかに、母が、夫よりもベニーに気持ちが移っていることを示していた。
父親はエンジニアとして出世し、RCA、GE、IBMと有名メーカーへ移っていく。
一家はカリフォルニアへまた引っ越すが、そのハイスクールでサミー(カブリエル・ラベル)を待っていたのは、露骨な「ユダヤいじめ」だった。フェイブルマン一家はユダヤ教徒だったのだ。
そんな中、サミーにはモニカ(クロエ・イースト)というガールフレンドもできる。
1964年の卒業に際して、サミーは記念映画の撮影を任された。
ビーチで思いっきりはしゃぐ卒業生たち。
サミーはあえていじめっ子だった同級生・ローガン(サム・レヒナー)を雄々しく、カッコよく撮影。
パーティーで上映されると、女の子からは「ローガン、素敵だわ!」と大絶賛された。しかし、喜ぶはずのローガンはむしろサミーの映画に怒っていた。
「あれは、ほんとのオレじゃない!」。サミーがいかにもつくりものっぽい、マッチョな自分、として映像にしたのが許せなかったのだ。
サミーは「映像はありのままを映す」けど、アングルや編集によっては、別物にも見せることができる、ということをすでに知っていたのだった。
ベニーのことが忘れられない母親は、アリゾナへ戻りたい、と言う。
フェイブルマン一家は不和のうちに崩れようとしていた。
遠くの大学に行くことになったモニカとは、別れることになったサミー。
彼は、映画の仕事を熱望していた。
あちこちの撮影所や映画会社に手紙を書くが、反応がない。
ようやく1社だけ返事をもらい、撮影所に行き、通された部屋に待っていたのは「巨匠」と呼ばれる、伝説的な監督だった・・
スティーヴン・スピルバーグ監督作品。
いわば、スピルバーグの自伝映画である。
だいぶ前だったが、スピルバーグ監督がインタビューで、
「子どもの頃、親にねだってねだって、やっと8ミリカメラを買ってもらって、映画撮影のまねごとを始めた。そこへ行くと最近の子どもたちは携帯電話のカメラで動画がすぐに撮れる。ほんとうにうらやましいね」と語っていたことがある。
でも、この映画では、すでに8ミリカメラが家にあった設定。
もちろん、虚実まじえての「伝記的映画」なのだろうが、映像というものの魅力にハマった少年が、いかに世界的名監督になりしか、という成長物語かと思って見に行ったが、実のところ半分は「フェイブルマン家の家族」の物語。
そのへん、私的な思い入れが強すぎるきらいもある。
最後に出てくる謝意を示す名前は、たぶん、両親のものだろう。
スピルバーグも70代になって、人生を振り返りたくなったのかなあ?
とはいえ、映像の持つ魔力と、見せ方で、映像は平凡にもなり、魅力的にもなるのだ、ということを実感できる物語でもある。
(3月3日、大阪ステーションシティシネマ)
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