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2021年02月28日06:28

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ありがとう!横浜文化体育館(116)

他団体からの選手借り受けで船出をした大日本プロレスですが、当初の団体のコンセプトは明確ではなく、バーリ・トゥード路線とデスマッチ路線を並行して歩んでいきました。

グレート小鹿社長は「喧嘩最強」と言われ、アメリカでの武勇伝を数多く誇っていたケンドー・ナガサキにバーリ・トゥード路線を歩ませようと画策。

大日本プロレスが旗揚げした95年は前94年12月7日、UWFインターナショナルの安生洋二が日本からヒクソン・グレイシーに対戦交渉に行き、結果的に嵌められた形で道場破りを行い、無残に絞め落とされてしまったことで、大きなイメージダウンとなり、「ヒクソン幻想」が日本でも高まりました。

そのヒクソンを日本に呼んだのが初代タイガーマスクの佐山聡で先ず94年7月29日、東京ベイNKホールでの「バーリ・トゥードジャパン・オープン」に初来日したヒクソンはトーナメントでバド・スミスを破り優勝、この年の4月20日、日本武道館では山本宜久、木村浩一郎、中井祐樹という日本人格闘家を3タテにして2年連続優勝を果たし、まさにバーリ・トゥードという「黒船来襲」と言った時期でした。

ナガサキは95年9月13日、大日本プロレス名古屋・露橋スポーツセンターで95年のバーリ・トゥードジャパンオープンに参加し中井を指を使ったサミングで失明に追い込んだジェラルド・ゴルドーの兄、ニコ・ゴルドー(USA大山空手)と対戦、アキレス腱固めで勝利し、その勢いをかって9月26日、駒沢オリンピック公園記念体育館でのバーリ・トゥードジャパンの興行でジーン・フレジャーと対戦しましたが僅か36秒でKO負け。

47歳のナガサキには敵陣でのバーリ・トゥードは無理があったか、惨敗に終わりました。バーリ・トゥード路線はここで頓挫したと言えます。

路線変更を余儀なくされた大日本プロレスはデスマッチ路線に活路を見出していきますが、当時デスマッチを売りにしていた団体は既にFMW、W☆ING、IWAジャパンとあり、既にある程度は出尽くした感もありました。

そこに登場したのが「ミスターデンジャー」松永光弘(敬称略)。松永は93年にFMWに復帰後、W☆ING同盟のリーダーとして本隊と対峙していましたが、96年5月5日、川崎球場でのカクタス・ジャック戦を体調不良に欠場、ステーキ店で修行をしながら大日本プロレスにスポット参戦。奇抜なデスマッチアイデアで旋風を巻き起こしました。

96年8月19日、横浜文化体育館大会「SUMMER NIGHT DREAM IN YOKOHAMA」(観衆2,340人発表)のメインイベントでは人食い魚ピラニアを入れた水槽の中に落とした方が勝ちという「アマゾンリバー・ピラニアデスマッチ」でナガサキと松永が対戦。

この一戦について20年12月20日付(19日発行)の東スポに松永のコラム記事がありますので引用してみます。

「ピラニアは意外にも臆病な魚なのです。ただし、歯はカミソリのように鋭く、歯に触れた物はスパッと切れます。かむ力も強いです。また口に触れた物はかむ習性があります。」

「ピラニアデスマッチですから100匹くらいは必要ですが、『10センチくらいのサイズのピラニアなら100匹揃う』とのことでした。」

横浜文化体育館のリングに180センチの水槽が運ばれます。

「ピラニアは最大30センチくらいに成長する魚ですから『ピラニアが小さかった』との声も試合後に出ましたが、実はピラニアに限らず肉食魚という生き物は、小さめの方がどう猛なのです。人間でも成長期には、食事をガツガツとたくさん食べますが、大人になって体の成長が止まるとあまり食べなくなります。」

「水槽の3分の1くらいまで水が入ったところで、それ以上水を入れないように指示。その理由は、ピラニアは臆病な性質なので水槽にドボンと落ちた時に、驚いて水槽の隅に逃げてしまう可能性が高かったからです。それを防ぐために、少ない水の量にして、ピラニアの逃げ場をなくしました。口に触れた物をかむ習性がありますから危険度は上がります。この試合、最大の戦慄のシーンは、私が頭から大流血してその血が水槽内に落ちる時に、そのにおいにピラニアが反応して、うごめくシーンです。

最後は、私が水槽に落ち、ケンドー・ナガサキさんが有刺鉄線ボードで水槽にフタをして決着。私は大流血しましたから水槽の水は真っ赤になりました。」

18分35秒、水槽に落としたナガサキの勝利となりましたが、横浜文体に集まった観客を恐怖に陥れたのはデンジャー松永でした。

セミファイナルは山川竜司&大日本プロレスに入団した田尻義博組と中牧昭二&矢口壹琅(SPWF)組。田尻は95年にIWAを退団し、マスクマン、アクエリアスとして大日本に参戦、素顔になって正式に入団を発表していました。中牧も前95年まではIWA所属として大日本に上がっていましたが退団し大日本入り。試合は20分19秒に田尻がウラカンラナで矢口からフォール勝ち。

WAR冬木軍のボス、冬木弘道が大日本に登場、ブルーザー岡本とシングルマッチで対戦、9分25秒、地団駄ラリアットからの片エビ固めで完勝。

UWFインターナショナル提供試合、桜庭和志vs山本健一(喧一)の対戦は4分29秒、ダブル・リストロック(チキンウィングアームロック)で桜庭が若いヤマケンを寄せ付けずに完封勝ちを収めました。経営が苦しかったUインターでしたが、デスマッチ団体に選手を単独でブッキングという訳にもいかず、Uインター同士の提供試合に落ち着いたというところでしょうか。

小学生キャラクターに変身したたにぐちゆういち(谷口裕一)は志賀悟(後のシャドウWX)を11分27秒、ダイビング・ボディプレスからの片エビ固めで破り、バトラーツ提供試合では田中稔が米山サトシ(後のモハメドヨネ)を8分24秒、腕ひしぎ逆十字固めでギブアップさせました。

第1試合の小林洋輔(アブドーラ)vs高智政光(SPWF)は10分25秒、高智がノーザンライト・スープレックスホールド(北斗原爆固め)で勝利を飾っています。

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