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2021年01月31日23:01

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映画「夏、至るころ」

福岡の旧産炭地・田川市に住んでいる翔(倉悠貴)と泰我<たいが>(石内呂依)は、高3。
子どもの頃から、祭りで披露する和太鼓を叩いていた。
ところが夏祭りを前に突然、泰我が「太鼓をやめる」と、翔に告げる。受験勉強に専念するため、というのだ。

どこか置いてきぼりを食った気持ちになる翔。
自分はまだ就職するか進学するかも決めていない。
授業では進路指導の一環で、将来何をしたいかと問われ、翔は「空気になりたい」と答えてしまう。

翔の家は三世代同居。
父(安部賢一)、市役所勤めの母(杉野希妃)、祖父(リリー・フランキー)、祖母(原日出子)、そして年の離れた幼い弟(後藤成貴)。
優しくて穏やかな家族に囲まれて、「翔には、幸せになってほしいんよ」と言われるが、彼は改めて「幸せっちゃ、なんやろ?」と考えてしまう。

翔が祖父に頼まれ、飼っているインコの爪を切ってもらいに、ペットショップへ赴くと、そこには見慣れない女の子・都(さいとうなり)が。
店主(大塚まさじ)の孫で、東京から遊びに来ているという。

町のさびれた商店街(ほとんどシャッター通りと化している)に翔が泰我といっしょにいたところ、偶然、都と再会。
マイペースでつかみどころのない彼女は、ギターを背中にしょい、唐突に、彼らが通う高校に行ってみたい、と言い出す。

わたしは高校に行ってないから、と都は夜の校舎におおはしゃぎ。
そして、東京で歌う仕事をしていたが、自分の気持ちにそぐわない歌詞を歌うように求められ、シンガーをやめた、と言う。
プールサイドで、翔と泰我に促され、持ち歌をポツリと歌いだす都。
その直後、彼女はプールに転落。あわてて翔が飛び込み、泰我も続くが、小林先生(高良健吾)に見つかってしまった。

先生は少しあきれながらも3人を特段責めることなく、翔に「読んでみなさい」といくつか文庫本を渡すのだった。

翔は泰我に、いつも行く「二鶴食堂」でちゃんぽんを食べながら、「幸せちゃ、なんね?」とつい真顔で問いかけた。

「なんね?思春期?」苦笑する泰我。

小林先生から渡された岩波文庫は立原道造の詩集だった。

<夢みたものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛>

そして最後に<それらはすべてここに ある と>

と、結ばれていた。

祖父は、幸せとは?と問う翔の質問に「考えんで走れ」とだけ返す。

自分が暮らす家庭そのもの、今あるすべての中に幸せはあるー。
翔は泰我に「どこにいても、オレはお前の隣にいる」と言う。
泰我は、やめる、といった和太鼓の練習に再び戻り、祭りの日、メンバーたちと高らかに太鼓を打ち鳴らす。
横には呼応するように太鼓を打つ、翔がいた。


予告編を見て、見に行きたくなった映画。リリー・フランキーが出ているうえ、舞台の田川市は、わたしの故郷のすぐ近くだ。
香春岳(かわらだけ)、伊田商店街、日田彦山線、祭りで流れる「炭坑節」等々、わたしにはなじんだものばかり。

幸せって何だろう? というあまりにも正面切ったテーマながら、家族や友人に囲まれているあたりまえの日常の中に、翔がささやかな幸せを改めて実感していく、佳作に仕上がっている。

何より、祭りの和太鼓を叩くシーンは迫力満点。一番の見どころだ。
冒頭にも地元では有名な「川渡り 神幸祭」が登場する。

さて、「田川弁」は、ドラマなどでよく聞く博多弁とはまた違う。
役者さんはセリフに苦労したんじゃないだろうか?
さすがにリリー・フランキーは筑豊出身なので、セリフに違和感なかったですね。
しかしながらさいしょ見たとき、リリー・フランキーと原日出子が翔の両親役、安部賢一と杉野希妃は、お姉さん夫婦かと思いましたよ(;'∀')。
リリーさん、高校生の孫がいるって設定はちょっと・・
「お前、橋本環奈と吉岡里帆、どっちがいい?」という翔と泰我の会話なんかは、いかにも現代風。

監督はまだ24歳の池田エライザ。
10代の若者の死因トップが自殺である現代、夢を持てない彼ら彼女らの手助けになりたい、そんな思いで映画作りに取り組んだという。
主演の倉悠貴は、初めて見る俳優さんだが、山田孝之と櫻井翔をたして二で割った感じかな。
(1月29日、シネリーブル梅田)
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