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2020年11月30日22:52

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K-BOOKフェスティバル「『ハン・ガン作品を語る』翻訳者座談会」

韓国文学に関する、オンライン開催でのイベントに参加しました。

韓国の女性作家ハン・ガン氏の翻訳をされた4人(斎藤真理子さん、きむ・ふなさん、古川綾子さん、井手俊作さん)のオンライン配信によるトークイベントの記録です。
当日聞いたお話のメモを元にした書き起こしなので、聴き漏れや割愛した部分もあります。ご了承ください。

当日は東京から斎藤さん、きむさん、古川さん三人が一堂に、そしてリモートで福岡から井手さんが出てくださいました。進行は古川さんです。

<古川>ハン・ガン(韓江)さんの作品は、2011年にきむ・ふなさん訳の「菜食主義者」、2016年に井手俊作さん訳の「少年が来る」、斎藤真理子さん訳で2017年に「ギリシャ語の時間」、2018年「すべての、白いものたちの」、2019年「回復する人間」、そしてわたしの訳したエッセイ集「そっと静かに」が、出版されています。
作品について、翻訳者の視点から語っていただきます。
韓国文学のいい作品があっても、翻訳を出せる場がなく、「新しい韓国文学」シリーズとして記念すべき第一作に「菜食主義者」が選ばれました。

<きむ>「菜食主義者」の翻訳が出て、ほぼ10年。この10年間の変化は、まったく想像できなかった。口を開けてぽかんと眺めている状態です(笑)。
日韓の作家交流があっても、なかなか日本語の翻訳が出ず・・「新しい韓国文学」は何だろう?と思うのですが、旧来の韓国文学って、民主化運動、歴史が大きなテーマで、重くて暗いイメージでした。あ、「菜食主義者」も重いですが・・。
でも「菜食主義者」は、どの世代が読んでも普遍的テーマだと思います。単行本が出たのが2007年ですが、その連作の一部が2005年に李箱(イ・サン)文学賞を受賞しています。

<古川>ぱーっと訳して、あとで細かい所を詰めますか?

<きむ>韓国人が、母語でない日本語で訳すのか?とよく言われたりもしましたが・・

<古川>気を遣ったところ、印象に残ったところは?

<きむ>わたしがいうのはおこがましいのですが、ハン・ガン作品は翻訳されるのにいい作品だと思います。文章が簡潔で平易な言葉を使っている。
韓国語としてものすごく正確。ほかの作家の場合、韓国語としてねじれてるんじゃないか?と思うこともありますから。
「菜食主義者」がブッカー賞を獲った時、韓国語学習歴6年の人が英訳した、と話題にもなりました。韓国語学習が短くても訳せる。でもそれだけ研ぎ澄まされた訳をするのもむずかしい。

<古川>とらえ方は人によって多様で、いろんな読み方ができる作品ですね。では、井手さん訳の「少年が来る」についてですが、これは光州事件を扱った作品です。井手さんがどう出会ってどうして訳そうと思ったのかを・・

<井手>ハン・ガンさんのお父さんのハン・スンウォン(韓勝源)さんとお会いしたことが大きかったです。
2014年、当時僕は西日本新聞の文化部記者をしていました。同僚から韓国・長興(チャンフン)での文学祭に行かないかと誘われ、僕も付いて行ったのです。そしてたまたま僕がハン・スンウォンさんの、同僚は別の作家の取材担当になりました。それがなかったら、ハン・ガン作品とも出会ってなかったんだなあ・・いろんな偶然の積み重ねで出会えたんだと思います。

<古川>どんなインタビューを?

<井手>翌年が2015年で、日韓国交回復から50周年で、「怨(ハン)」をテーマにしました。ハン・スンウォンさんに娘さんも活躍されていますね、というとデレっとした顔になって(笑)、親ばかですが文学賞も獲ったんですよ、とおっしゃって。
「少年が来る」は2014年5月に出版されて、インタビューはその5か月後だったわけです。
そのとき知った言葉なんですが「勝於父」(승어부 スンオブ)、父を上回る、という意味です。
(ここで井手さんが紙に書いた「勝於父」とそのハングルを、画面から見せてくださる。ほかの三人も初めて知った言葉、とざわめく)。

<古川>お父様が先だったんですね。そこから父娘2代にわたってのご縁ですね。
「少年が来る」は、構成が複雑だったり、訳されるとき大変じゃなかったでしょうか。苦労された点は?

<井手>ハン・ガンさんの小説はすごく簡潔な韓国語で、こう訳すしかないだろう、という感じでもってまわった表現がない。
でも、苦労したことがあります。ハン・ガンさん本人がどこかインタビューでお答えになっていたかと思いますが、「少年が来る」を書くのが辛く、数行書いて泣いて、ひとしきり泣いて、泣き止んでまた書いた、と。
翻訳者にもそれが伝わってきました。辛くていたたまれなくて、泣きたいような気分になって、気力がじわじわと回復してまた翻訳を始めるという連続でした。それは不思議な経験でした。翻訳者としては冷徹に見つめるのが正しいのでしょうけど、感情的に崩れるのを建て直すのが大変でした。

<古川>心の体力が求められると思いますね・・・次に真理子さん、お願いします。
ハン・ガン作品の魅力は?

<斎藤>非常に静かで、中に激しさがあり、それがからまって進んでいく。
「ギリシャ語の時間」は、心に傷を負った人が出てきます。視力を失った人、声を失った人が、古典ギリシャ語を教える人、学ぶ人として出会う。
ハン・ガンさんの作品は繊細ながら明瞭で、輪郭がはっきりしている。美術的・視覚的表現の広がりがあって、日本語に訳すのに苦労しました。
푸르스름하다、は「うす青い」「青みを帯びた」という意味なんですが、夜明けのほんのりとしたこれから明ける青、というか・・

<古川>青に苦労させられたけど、美しい物語ですね。

<斎藤>美しいと同時に激しく、それが二重らせんのよう。
韓国語の色の言葉の体系と、日本語はまた違います。
「すべての、白いものたちの」の原題は「흰」、連体形です。「흰」の次に何が来るのか、読者が決める。詩的なテキストと写真を組み合わせた、体積の広い本です。白は生命のイメージであり、死のイメージでもある。赤ん坊の頃に亡くなった自分の姉がいて、ソウルとワルシャワを歩く・・
これを読んだ読者は、おばあさんとおかあさんと同居していて、そのふたりの仲がよくなかったが、おばあさんの葬儀でおかあさんが泣いているのがわからなかった。でもこの本の中に、その理由がすべてある、と言っていました。わたしはこの本の底力を、読者の感想で知った気がします。

<古川>いろんなものがハン・ガンさんから見えてきますね。わたしが訳した「そっと静かに」は、音楽がテーマのエッセイです。ご自身が作詞作曲した歌も書かれています。
手を悪くして、口述筆記して書いていた時期があったそうです。内面の苦しみも、子ども時代のキラキラした思い出も書かれている。
わたしの知らない歌が多く、80年代のヒットソングとかパンソリは、一曲ずつ捜して聴いて、訳しました。歌を聴くのに時間がかかりましたね(笑)。わたしの知らない時代の韓国が出てくるのでそれを調べるのにも時間がかかりました。(井手さんの映っている画面を見ながら)井手さんの後ろに見える写真、ハン・スンウォンさんですね。ハン・ガンさんと似てますね!
では、ハン・ガンさん自身について話していきたいです。
中上健次さんが立ち上げた「熊野大学」がありまして、これは大学と言うよりみんなで学ぼう、という場です。わたしなど熊野、というとパワースポットのイメージですが。
2013年にハン・ガンさんも参加してとても濃密な時間でした。

<きむ>わたしは実際にその作家に会って翻訳することが多いのですが、ハン・ガンさんには翻訳のあとで会いました。
そのときの熊野大学でのテーマが「韓国」。東京からそこまでは6−7時間かかったでしょうか。ハン・ガンさんは「熊野大学」って地方にある、ほんとうの大学だと思っていたらしく、あまりに山の奥の奥でびっくりしていたと思います。
彼女は関空に着いて、それから新宮まで列車で5時間近くかかって・・迎えに来てた人は韓国語がしゃべれず、お互いあまり得意でない英語で意思疎通してたそうですが。わたしが来たら、ハン・ガンさんすごく喜んでました。
とても不便なところなのに、何日も徹夜して、飲みながら食べながら討論するんです。
あのとき、議論のメインは中上健次だし、わたしもハン・ガンさんも隅にポツンといた感じで。
でも天の川がきれいで、新宮までの列車の外は夏の真っ青な海と空でした。
ハン・ガンさん、ちょうど「少年が来る」を執筆中で、とても大変な時期に、日本の山奥に来てくれたんです。
そのとき80年代をどうすごされましたか?とか話しました。
そういえば、夜のセミナーに村田沙耶香さんも来られてて(一同、ええーっ!とびっくり)、その数年後に「コンビニ人間」で芥川賞を受賞するんですよね。

<斎藤><古川>やっぱり、熊野はパワースポットだった!

<古川>井手さんは、ハン・ガンさんのお父様、ハン・スンウォンさんの本も訳されていますよね。どういうきっかけで訳されたのですか?

<井手>(背後の写真を指しながら)、こちらに写っているのが、スンウォンさんの母、ハン・ガンさんのおばあさんで、済州島旅行の時のものです。
今年の春翻訳出版した「月光色のチマ」、原題は「つゆ草母さん」ですが、スンウォンさんのお母さんの物語です。お母さんは100歳近くまで生きました。
1894年ごろの東学党の農民運動のあった時期のことも出てきます。お母さんのさらにおばあさんになるかたが、戦闘で息子を失う、とても悲しいシーンもあります。故郷のチャンフンは東学党の乱でも激戦地でした。
100歳の人生が朝鮮半島の近代史と重なる作品です。
スンウォンさんは朝鮮戦争のとき10歳ぐらいで、人民委員会がハン一家を襲撃する計画があったのですが、知人がそれを知らせてくれ、家族は裏山に避難して死なずに済みました。もしその知らせがなければ、スンウォンさんもハン・ガンさんもいなかったでしょう。

<古川>この座談会もいまやっていない、ということになりますね・・
昨年の「文藝 秋号」、特集テーマが韓国、フェミニズムということで異例の増刷を重ねて話題になりましたが、ハン・ガンさんの書下ろしも掲載されてるんですよ。

<斎藤>ハン・ガンさんは、日本で、韓国文学を考えるとき、トップアイコンなんです。「カステラ」のパク・ミンギュさんとセットで紹介されることもあるけれど。
「文藝」の書下ろしタイトルはさいしょ「京都イヤギ(京都の話)」だったんですよ。それが「京都ファサード」になりました。
ハン・ガンさんも京都に行って、市場に行ったりしたみたい。読者は客観的な京都が見られる。いろんな角度から、ダブルイメージを受け取ることができると思います。

<古川>2013年7月、「熊野大学」の1カ月前に東京国際ブックフェアが開かれて、テーマ国が韓国でした。日替わりで、日本の作家と対談して、きむ・ふなさんも司会されていましたよね。わたし、ハン・ガンさんとオ・ジョンヒさんのアテンド役でびびりまくって、こんなにドキドキしたことがないくらいで、待ち合わせのホテルに行きました。
自由時間はどうしますか?と聞いたら、できるだけ美術館に行きたいと言われて、六本木ヒルズの森美術館に行ったんですが、現代美術展をやっていました。
この視線は、ハン・ガンさんの作品のどこに行くのか?と思いながらご一緒しました。
そのとき、オ・ジョンヒさんが白い韓服、ハン・ガンさんが黒いワンピース姿だったんですよ。
エッセイ集は話し言葉なので、実際にハン・ガンさんとお話ししたことを思い出して訳しました。
では、事前にいただいている質問から・・「すべての、白いものたちの」、ところどころに挿入されている写真は、原著にもありますか?

<斎藤>見直しをして、デザイナーの方がまた選んでいます、いろんな国で翻訳されていますが、全部本の写真は違うと思う。

<古川>翻訳が進まないことってあるんですか?

<井手>進まないことばかりなので・・(苦笑)、追い詰められて、追い詰められて、そういう状況になれば・・

<きむ>ああ、井手さんは新聞記者だったから、締め切りはちゃんと守られますよね。

<古川>わたしは、いったん粗訳ができないタチです。さいしょから納得がいく訳でないと進めない。10通りぐらいの訳を作っています。

<斎藤>わたしは無理に進めちゃうほうで、いったん下訳をばーっとやっちゃう。きょうは翻訳だけをする!という日を作る。そうすると加速度がつく。あと見直しをしっかりする。一日にできる量が把握できると、いつまでに完成するかがわかる。

<古川>井手さんの新聞記者、斎藤さんの編集者の仕事が生きてるわけですね。

<斎藤>生きてるのか、死んでいるのか(笑)。

<きむ>わたしは日本語から韓国語、韓国語から日本語の両方の翻訳をしていますが、勉強の延長上にあるような気がします。わたしは仕事はとてもゆっくり、急ぐ理由がないんです。ごめんなさい、社長(笑)(座談会のテーブルの向こうに居る、出版社「クオン」の社長に向かって語る)。わたしのペースでじっくりやってます。

<古川>この先、訳してみたいものは?

<きむ>ハン・ガンさんは詩人としてデビューしています。20年書き溜めた詩から、ご自身で選んだ詩集が2013年に出ています。

<斎藤>ハン・ガンさんの詩は、とてもわかりやすいです。

<古川>とてもいい詩なので、わたしも翻訳が楽しみです。おふたりの共訳ですね?
では、最後にひとことずつ。

<井手>「黒一点」で肩身が狭かったんですが、ハン・ガンさんの童話を、どなたかの訳で読みたいです。

<古川>井手さんが訳されてもいいんじゃないですか?

<きむ>なんかものすごくプレッシャーですね。

<斎藤>コロナ禍が終息して、旅行できるようになったら、井手さんのいる九州に行きたいです!

(2020年11月29日 15時〜16時30分)
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