前から観たい観たいと思いながらなかなか果たせなかった奇作「ウィッカーマン」、やっと観る事ができました。それも、これまで日本で流通してた88分版ソフトと違って、ロビン・ハーディ監督自身によって再編集されたファイナル・カット。
イギリス本土から離れた小さな島、サマーアイル。そこで行方不明になった少女がいるとの匿名の通報を受けてやってきた巡査部長ハウィーが見たものとは?
今年公開されて思わぬヒットを飛ばした「ミッドサマー」のようなゴア描写はないものの、この作品に溢れるのは何とも形容し難い不穏さ。
何と言いますかねえ、とにかく「ヘン」なんですよ。
島の住民はみんな朴訥で善良そうに見えるんですが、どこか人間関係がルーズそうで、妙にねっとりしてるんです。で、その予感はピタリ。
夜になって宿の外に出てみれば、至る所で若い男女が青カンの真っ最中(しかもなぜか全員が騎上位)。パブでは客たちがヒワイな歌で大盛り上がり。学校に行けば男子たちは大人顔負けのエロい歌で大はしゃぎ、女子たちはというと・・・。
先生「校庭にあるあの大きな木は何の象徴かわかる人!」
女子「はーい!おチンチンでーす!」
いやもう、大らかと言うか何と言うか。
ハウィーが「領主」と呼ばれる島の実力者サマーアイル卿に行く途中では、ストーンサークルの中で全裸になった若い女性たちが楽しそうに歌い踊りながらたき火の上を飛び越える姿があったりして、もう無茶苦茶。
この謎めいた異様さは、クライマックスの「五月祭」でいよいよ全貌が明らかになるのですが、ここで重要なのはハウィーが厳格なクリスチャンであること。
寝る前にはきちんとお祈りをし、婚約者がいるけれど婚前交渉はまだ、という敬虔さを持った彼にはこの島の人間の奔放さが我慢なりません。宿屋の娘・ウィローにあからさまに誘惑されてもそれを頑として拒む彼は、何とかして自分が守って来た秩序と信仰心を頼りに行方不明事件を解決しようとやっきになるのですが、それがかえってエラいことに。実は彼の純粋な「神への忠誠」こそが島の人間にとって必要なものだったのです。
見ようによってはとんでもないアンチクライスト映画なんですが、そう単純に切り捨てられない暗い魅力が本作にはあるんですねえ。
それは、「人と神との通暁には、いろんなかたちがあるのさっ」ということを、変に小難しくなくさらっと描いて見せちゃってるせいなんでしょう。
自然から与えられた実りに対し「技」で応えるべく、酒やタバコといった供物を捧げたり、時には命あるものを殺すことで「再生」を祈願したり。人間の自然(=神)への感謝の表し方は昔から様々でした。
原始宗教とも言えるそのような神との繋がり方を、簡単に「異端」「邪宗」と切り捨てていいものか?
・・・なんてことをふと考えてしまうようなヤバさ。
本作が公開当時、ほぼ封殺に近い扱いを受けたのも、なんとなくわかるような気がします。
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